今年6月に2週間ブラジルに行く。今回が10回目のブラジル、訪問の目的は移住した友人・先輩に会うことである。最初にブラジルの地を踏んだのは1975年、日本学生海外移住連盟の第6次海外学生総合(第16次南米)実習調査団の一員としてだった。
当時、「日本学生海外移住連盟」(略称・学移連)という全国56大学が加盟して移住に取り組んだ団体が存在した。1955年に設立され、海外移住の啓蒙・移住推進に力を注いだ。1997年に閉鎖するまでブラジル・アルゼンチン等中南米、カナダなどに実習生を送り出し、OBもブラジルを始め世界各国に移住している。
設立趣意書には「日本の海外への発展とその維持とは単に国内問題として取り扱われるべきではなく、国際視野のもとに世界人類、特に次の世代を担う学生の連繋協力によって解決しなければならない。―中略―新しい日本建設に当たり我々は斯くの如き視野に立ちつつ海外問題の研究とその解決とに努力し,且つ国際友愛精神による国際的寄与への第一歩を強く踏み出さんと欲するものであります。―中略―然るに海外移住に関する研究と推進とに関し、次の世代を背負う若き学生間に於いて、従来その全国的提携、協力が極めて欠ける点の多かったことに鑑み、茲に各大学有志の賛成を得て世界平和を祈念しつつ、日本学生海外移住連盟を設立せんとするものであります」とある。
東京農業大学の杉野忠雄教授の「拓殖史観」を思想的なバックボーンとして、自己の「海外雄飛」というロマンを重ね合わせ、気概をもって移住していった。更には、グローバル・シティズンの先駆けとして、世界平和を希求する一員として海を渡った。
ブラジルでは、ある者はサンパウロ近郊で野菜つくりや花卉栽培を。また、ある者はアマゾン河中流域で熱帯雨林を切り倒し、胡椒(ピメンタ)栽培を行った。皆、筆述しがたい苦労をしてきた。
“朋友信あり”、ブラジルの友も歳をとった。早く会いにゆかねば・・・。
ラーニング・システムズ
高原コンサルティングオフィス
高原 要次