「敬老の日」

  山間部の我が地域の「敬老会」が、先日催された。対象は80歳以上、住民789名のうちの113名が該当者、14.3%である。因みに、14歳以下(中学生以下)は8.6%。典型的な少子高齢化地域である。
 「敬老の日」、歴史上の由来としては聖徳太子が老人や病人向けの施設「悲田院」を作った日であるとするもの。また、元正天皇が養老の滝に行幸した日、もしくは高齢者に贈り物をした日などとある。
  今日の「敬老会」は、1947年(昭和22年)9月15日に兵庫県多可郡野間谷村が、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨から開催したことが始まりである。9月15日という日取りは農閑期にあたり、気候も良い9月中旬ということで決められた。昭和22年当時は戦後の混乱期で、子供を戦場へ送った親たちも多く、精神的に疲労の極にあった。そうした親らに報いるべく「養老の滝」の伝説にちなみ、9月15日を「としよりの日」とし、55歳以上の人を対象に敬老会を開いたのである。
  翻って今日、人権問題の一つに「高齢者問題」があげられるのは、実に嘆かわしいことである。高齢者の介護・虐待、認知症に対する偏見等、本来敬われるべき高齢者が疎んぜられ、虐待を受けるなど言語道断である。
  儒教の道徳法則に「五倫(ごりん)」というものがある。「父子有親,君臣有義,夫婦有別,長幼有序,朋友有信」である。

父子の親・・・父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない。
        父親は男子、特に長男に対して厳しく育てようとするし、子は時として反発もする。
        父と子の間には親愛があればいい。しかし、それがなければ、うまくいかない。
君臣の義・・・君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない。
        義とは、他人に対して守るべき正しい道であるが、君主と臣下の関係ではそれを行うにおいて、
        お互いに慈しむ心が必要である。
夫婦の別・・・夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる。
        夫には父性としての義愛が、妻は母性としての慈愛が必要であり、夫婦の役割は異なるのである。

長幼の序・・・年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。
        何しろ、長く生きているということは、そのことだけで尊い。年長者を敬うのは当然である。
朋友の信・・・友はたがいに信頼の情で結ばれなくてはならない。
        「朋」とは学びを同じくするもの。「友」とは志を同じくするもの。そこには、信頼がないと朋友にはなり得ない。

長幼の序、人間関係の基本の一つ。美しくありたいものだ。

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