田口佳史氏に東洋思想を学んでいるのだが、「儒教・仏教・道教・禅・神道」の一つ一つが膨大でかつ深淵であり、その真髄を理解するのに苦悩している。そこで、これら5つを一つ一つを時代の流れとともにまとめて、整理したいと思う。
まずは、「仏教」。仏教を私流に言えば、それは「苦」から解放されて穏やかな心を持つための方法論である。そのためには欲を捨てて(小さくして)、足るを知る(大きくする)こと。
仏教は、釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が説いた教えである。それは四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)の真理(人生は苦であり、人生苦にはその原因がある、それは人間の心の持ち方にある)に目覚め、八正道(正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定)の実践を行うことによって、苦悩から解放された「涅槃」の境地を目指す、いうもの。「涅槃」とは、煩悩の火が消え、人間が持っている本能から解放され、心の安らぎを得た状態のことである。
釈迦は80歳で亡くなるが、死後100年もすると教団は大きく二つに分裂する。一つは改革派の「大乗部」、もう一つは保守派の「上座部」である。「大乗仏教」は、大衆の中に入り、教えを広め、多くの人を救っていくなかで「悟り」を開くことを目的としている。一方、「上座部仏教」は基本的に自己完結的で、個人が修行し、「悟り」を開くことを目的としている。この対立の中で、大乗仏教を正当仏教にしたのが龍樹(ナガール・ジュナ)である。つまり、自己の救済から他者救済へと進化し、誰でもが仏になれるとした。
この「大乗仏教」が中国を経て、日本にもたらせれる。仏教は、西暦538年に日本に伝わったとされているが、釈迦の時代から概ね1000年である。
インドから中国にわたる過程で、鳩摩羅什(くまらじゅう)によってもたらされたのが浄土思想である。阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く思想であり、奈良時代に日本に入ってきた。
百済の聖明王から仏像・教典が送られてきたことが、日本仏教の始まりであるが、当初は思想というよりは、政争の大きな道具(戦略)としての色彩が強い。この政争で崇仏派の蘇我氏勝利し、急速に普及することになった。また、この仏教を国内統治、海外(唐)との関係等、国つくりの大きな柱として用いた。推古天皇・聖徳太子は仏教を用いて制度を整え、奈良時代の聖武天皇に引き継がれた。また、唐から招かれた鑑真は、戒律を重んじ大きな役割を果たした。
平安時代には、最澄と空海が現れ、それぞれ天台宗(比叡山延暦寺)、真言宗(高野山金剛峰寺)をひらいた。密教である。
鎌倉時代に、いわば日本仏教が花開く。この時代、末法思想と相まって、仏教は貴族だけのものから庶民にまで広がった。法然、親鸞、一遍、栄西、道元、日蓮がそれぞれの宗祖となる。特に、浄土思想からその方法論を念仏とした法然・親鸞、禅による修行を唱えた栄西・道元がその後の日本仏教の流れを作った。
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