「エリザベス・サンダースホーム」は、神奈川県大磯町の児童養護施設である。その設立は1948年。
第二次世界大戦後に日本占領のためにやってきたアメリカ軍兵士を中心とした連合国軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春、あるいは自由恋愛の結果生まれた子供は数万人いた。彼らは「GIベビー」と呼ばれ、本国に帰国した軍人に置き去りにされ、両親はおろか周囲からも見捨てられた孤児であった。三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の孫娘である澤田美喜が、この混血孤児たちを救うべく財産税として物納されていた岩崎家大磯別邸を募金を集めて買い戻して設立したのが、この「エリザベス・サンダースホーム」である。
今でこそ、国際結婚が歓迎され、そして生まれた子供も芸能界やスポーツ分野で“ハーフ”として尊重される存在であるが、戦後は“あいの子”と言われて差別され、特に黒人との間に生まれた“あいの子”は蔑視されることもあった。そんな彼らを、澤田は“我が子”としてホームに迎え、1600人以上を育て社会に送り出したのである。このホームで育った園児は、彼女を“ママちゃま”と慕い、生涯敬意を抱いて生きた。
澤田は、人種差別がないブラジルに園児たちを送り出すべく、1963年にはアマゾンの土地を購入し、ホーム内にアマゾン教室を開設し、卒業する前に開拓者の教育と農業実習を受けさせた。このプロジェクトに協力を申し出たのが、南部尚(拓殖大学)をはじめとする当時全国56大学で組織していた日本海外移住連盟の有志だった。彼らは、園児の受け入れ先遣隊として、アマゾンの移住地トメアスーで胡椒農場を開く準備にあたった。1965年第一陣として園児6人がブラジルに渡ったがブラジル政府から上陸を拒否された。
南部尚氏は、そのままトメアスー移住地で開拓者として、胡椒やパーム椰子、フルーツ栽培に励み、まさにパイオニアとしてアマゾンの地で生涯を閉じた。私は、1999年トメアスー移住地でのアマゾン移住70周年記念式典で南部氏と会い、三日間一緒に過ごしたが、その穏やかな人柄とクリスチャンとしての高貴な心と開拓者精神に感銘を受けた。
飽食の時代に生きながら戦争反対を声高に叫び、また日本人自身が慰安婦問題を捏造し、韓国のロビー活動でアメリカの地に慰安婦像が建っている。
米国は、「GIベビー」という好ましからざる現実を認めず、他国の人権問題を政治にからめる。
戦争のことを考えるとは、究極は人間を考えること。澤田美喜さん、南部尚さん、その“美しさ”に敬意を表する。
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高原 要次