ワークライフバランスと仕事観

  13年前になるが、2009年1月31日北九州市の大学の「生涯学習フォーラム」のパネルディスカッションに呼ばれた。テーマは「ワークライフバランス」。この日は私の誕生日だったが、その5日前に母を亡くし、悲しみが癒えないままにパネルディスカッションに臨んだ。
今でも、あの場面が目に浮かぶ。
  パネラーは三人、総務省より出向の北九州市副市長(女性)、大手新聞社西部支社支社長(男性)と私(男性)である。北九州市が進めるワークライフバランスに有効な意見を求められていたのであろうが、私の結論は「仕事」と「人生」を天秤にかけてバランスをとるのは適当ではない。「仕事」は「人生」に包括されており、「仕事」が充実しないと「人生」は充実しない。というものであった。
  その後、“ワークライフバランス”という言葉は社会に広がり、“ブラック企業”、“セクシャル・ハラスメント(セクハラ)”・“パワー・ハラスメント(パワハラ)”、さらに“働き方改革”、“生産性向上”とすすんでいく。働く環境が良くなり、仕事の質が向上することは大いに賛成である。しかし、我々日本人の「仕事観」の変化が少々気になる。
  山本七平はその著書「日本資本主義の精神」の中で、「いずれの社会であれ、その社会には伝統的な社会構造があり、それが各人の精神構造と対応する形で動いており、そこにはそれぞれの原則がある」と述べている。つまり、日本の会社は単に経済学・経営学の観点だけではなく「見えざる原則」で動いている、と。ポイントは、日本人にとっては「仕事は経済的な行為ではなく、一種の精神的充足を求める行為」という側面があるという点だ。
  この思想の源流は江戸初期の禅僧(曹洞宗)鈴木正三である。鈴木正三は、宇宙の本質は「一仏(ひとつの仏)」であるとし、「仏法をもって世を修めたい」とした。さらに、「四民日用」を著した。これは、四民(士農工商)の、それぞれがどのようにしたら成仏できるか、という問いに答えたものである。例えば「農人日用」では、「『仏行いはげめ』などと言われても、農民にはそんな余暇はまったくない、どうしたらいいでしょうか?」という問いに対して、正三は「農業則仏行なり」と明確に答えている。ここに「職業は修行なり」という職業観が確立され、日本資本主義の倫理の基礎が築かれた。
  さて今日の日本であるが、確かに労働時間は短くなり「滅私奉公」という言葉は聞かなくなった。しかしこの25年間、日本のGDPも一人当たりの所得も停滞し、世界におけるプレゼンスは下がるばかり。また、一流と言われた大企業でもデータ改ざんや不正が行われ、商品品質・企業品質は低下し“ジャパンブランド”の信頼度は下がった。嘆かわしいことである・・・。
  得か損かの仕事観ではなく、仕事を修行と捉え、研鑽に励む日本人を復活させたい。

ラーニング・システムズ
高原コンサルティングオフィス                                                
 高原 要次