先月、95歳の義父が肺炎の為、夜中に病院に緊急搬送されました。2週間の入院後、個人病院に転院。その後リハビリも頑張り、約1ヶ月で退院まで漕ぎつけました。戻る所は自宅ではなく、以前からお世話になっている施設(グループホーム)です。
義父は大正11年、農家の、6人兄弟の次男として産まれました。戦争にも行きました。長男が戦死した為、はからずも好きではない農業を継ぐ事になってしまったそうです。また、義母と副業で食堂を開いたこともあったそうです。その義父は市の森林組合長、県の森林組合副会長にも従事し、平成18年には勲章のひとつですが「旭日単光賞」を受賞しています。
人間は、この世に生をうけ、どのような人生であったかなど関係なく、最期の瞬間を迎えます。これは、全ての人に訪れる自然の流れです。健康な人もそうでない人も、お金持ちの人も貧乏な人もみんな平等に訪れます。違うのは、人それぞれ生き方をどう捉えるかということだと思います。生涯の中で義父はどのように感じて生きてきたのでしょうか。「幸せ」それとも「不幸せ」いやいや、「苦しい嫌な事が続いても、次には良い事があった」と思ってるかもしれません。「楽な事ばかりしていたから、嫌なことばかり続いた!」とも言うかもしれません。何が幸せで、何が不幸なのかは、誰からみて幸せで、不幸なのでしょう。それをどうとらえるかは、全部本人の問題で、自分の心がどのように思うかで、変わるんだよと教えてくれた人がいます。「私」が幸せだと思った時、その思った「私」にのみ、幸せが生まれると。見方によって変わるんですね。
自宅で大切にしている、一ヶ月の日めくり暦の中で、私が産まれた「17日」には、『 感謝される。 喜ばれる。 それが一番の幸せ、一番の喜び。「他の存在から喜ばれる存在」になること、 それが“魂”のプログラム。』とあります。
この言葉に出会って、このプログラムが私の生き方かも知れないと思うようになりました。
「感謝される」「喜ばれる」ように生きていこうと、、、。
(原口佳子)