投稿者のアーカイブ

「視野を広める」“恵蛄春秋を知らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや”

2020年4月1日 水曜日

 母校の大学で5年前からキャリア教育の一環で全学生を対象に、学生から社会人(ビジネスマン)になるにあたっての講義をしている。「仕事をするということ」の理解や「仕事への心構え」、翻って「学生時代の学び方」を私自身の経験・失敗談を交えて語っている。最後のメッセージは“人は人で磨かれる、人は仕事で磨かれる!”である。

 講義の中で、視野を広めることを強調する。そのために重要な行動は3つ。「経験(トライ)しろ」、「異質と交われ」、「本を読め」である。

 中国南北朝時代の僧曇鸞(どんらん)の言に“恵蛄《けいこ》春秋を知らず、伊虫《いちゅう》あに朱陽《しゅよう》の節を知らんや”というのがある。恵蛄《けいこ》とはセミのことで、セミは夏になって初めて地上に出て来て、秋には死んでしまい、春や秋・冬を知らない。更に言えば、春や秋・冬を知らないセミは夏を本当に夏と知っているとは言えない・・・。今が夏であることを知るためには、夏を越えて秋や冬、春があることを知らなければならない。

 他の人と交わり他の人を知ることで自分がわかる。他の国に行き他の国を知ることで日本がわかる。また、歴史を知ることよって現在を知ることができる。つまりは、「違い」を知ると視野が広がる。

 視野を広めるには、3つの視点があるように思う。第一は「角度」(見える広さ)、第二は「時間度」(見える長さ)、そして第三は「深度」(見える深さ)である。

 若者よ、経験(トライ)しろ! 異質と交われ! 本を読め! そして、視野を広めろ!

 

ラーニング・システムズ
高原コンサルティングオフィス

高原 要次

 

 

「仏教の教えとは・・・」

2020年3月1日 日曜日

 昨年、檀那寺の「仏教壮年会」会長を引き受けることになった。種々の寺の行事をこなすことには問題はないのだが、私の内面で葛藤が始まった。そもそも、仏教の教えとは何かを私は理解していないのである・・・。

 我が家は浄土真宗の門徒で、代々門徒総代をつとめてきた。私も子供のころから祖母や父に連れられてお寺に参っていた。そして、今までに数百回もこの寺の住職の法話や説教を聞いている。

 「仏教の教えって何?」と祖母に訊いても、父に聞いても明確な答えをもらったことがない。「そもそも、仏教の教えとは何ですか?」と僧侶に問うても、長々とした説明はあっても端的で本質的な答えが返ってこない・・・。

 そこで、幾つかの仏教入門書とインド哲学の第一人者の中村元氏の本を読んでの私の結論は、

 仏陀の悟りとは“やすらぎの境地”、心の中の執着と欲望を捨ててやすらぐことが教えである。

 釈迦(仏陀)は、渇愛があるために此岸では人は真の幸せにはなれない、と説いた。

真の幸せになるためには川を渡って「彼岸へ渡れ」と教えた。これが仏教の基本メッセージである。

 そして「彼岸に渡る智慧」を述べたのが「般若波羅蜜多心経」である。

仏教には、多くの重要な言葉がある、例えば「縁起」、「因果応報」、「輪廻転生」、「八正道」、「中道」、「四諦」、「諸行無常」、「諸法無我」、「我他彼此」、「四苦八苦」、「小欲知足」、「涅槃寂静」・・・。一つひとつが奥深く難しい。

 そこで、「そもそも仏教の教えは」となれば、それは穏やかな心を持つこと、そのためには欲を捨てて(小さくして)、足るを知ること。私は、そう解釈する。

 

ラーニング・システムズ
高原コンサルティングオフィス

高原 要次

 

 


「神様の願い、仏様の願い」

2020年2月1日 土曜日

 年が明けると、「初詣で」で神社や寺院に行くのが慣わしである。
そして、無病息災、家内安全、入学試験合格等を祈願する。忘年会と称して酒を飲んで、この1年を忘れ、初詣でで夫々の望みを神様や仏様にお願いする。
それはそれで結構なことである。しかし、その望みは総じて自己の欲望であり所謂我欲が多い。果たして、神様仏様は、その我欲を聞いて叶えてくれるであろうか・・・。

 そもそも「願い」とは、我々人間の神や仏への頼み事ではなく、神や仏の我々人間への「願い」なのである。
 神様、仏様の我々人間への「願い」とは“穏やかで楽しい人生を送ってくれ。そのために健全な社会をつくってくれ”ということらしい・・・。従って、神様・仏様に参るとは、自己の欲望実現のお願いをしに行くのではなく、神の願いに対して感謝しに行くのである。

 東洋思想の第一人者田口佳史氏によれば“儒教・仏教・道教・禅仏教・神道という東洋思想では何を言っているかというと「絶対的存在と対話しろ」というのです。「絶対的存在」とは、その教えによって「天」であったり「仏」であったり「神」であったりします。
その「願い」をしっかりとわきまえて、同行二人で人生を歩んで行け、と”(「現代のリベラルアーツとは何か ー よりよく生きるための知の力 ―」)。その「願い」に沿って生きるには、“智恵”と“慈悲”が必要、“足るを知る”ことが必要・・・。 
 私は、数年前から「初詣で」を止めた。そして、大晦日に、すぐ近くの神社と檀那寺に「お礼詣り」に行くことにした。心も穏やかに、人生も楽しくなってきたように思う。

 

ラーニング・システムズ
高原コンサルティングオフィス

高原 要次

 

 

「研鑽・・・」

2020年1月1日 水曜日

出身高校同窓会から連絡があり、同窓会の「研鑽委員会」のメンバーになってほしい旨の要請を受けた。
その後2回会合を持ち、この委員会の方向性や進め方、企画のアイデア等話し合ったが、まだ方向性は定まっていない。
 そもそも「研鑽」とは何か?

 ・学問などを深く究めること 
 ・いろいろな経験を積むこと
 ・技術、スキルなどを向上させること
 ・ある分野で長く活動を行い、腕を上達させること
 ・物事に懸命に取り組むことと辞典などには書いてある。

総合すると
 ・一定以上の時間をかけて
 ・学問や技術の向上を継続して行い
 ・並ではないレベルに達する
ことのようだ。

高校や大学の入学試験に合格するために懸命に勉強すること、は「研鑽」と呼べるのか?どうも該当しないように思う。彼らが大学に入り、ある研究テーマを持ち、その分野を深く掘り下げて新しい分野を切り拓く、新しいことを発見する。そのために懸命に取り組んでいる姿は「研鑽」であろう。
 他に、「修行」や「精進」という言葉があるが、これらはより精神性が高く、悟りを目指して心身浄化に努めたり、ものの道理を会得することであろうか。私は、「上求菩提、下化衆生」を標榜しているのであるが、「研鑽」も「修行」も「精進」も、まだまだ足りない・・・。

ラーニング・システムズ
高原コンサルティングオフィス

高原 要次

 



 

 

リカレント教育

2019年12月1日 日曜日

ロンドン・ビジネス・スクール教授のリンダ・グラットン氏が著書「LIFE SHIFT」で“人生100年時代”という言葉を提唱した。これまで寿命を80年として描いてきた人生を、抜本的に考え直す必要ありそうである。

更に、変化のスピードが急激に速くなり、テクノロジーも進化し、仕事自体・その中で求められるスキルが大きく変わる。何十年も前に学校で学んだ知識や一個人の経験から得られた知見だけで、その後の人生を歩んでいけるとはとても思えない。そうした観点から、働いている大人がスキルを身につけ直す・学び直す教育機会、すなわち「リカレント教育」が注目される。

1950年には人口の55%が24歳以下だったが、2030年には18%になる。何とその比率は3分の1である。大学が重視するマーケットも1950年は55%の「若者」であろうが、2030年の大学のマーケットは18%の「若者」だけではなく、むしろ82%の25歳以上の「大人」を重視すべきではないだろうか?
一度学校を卒業し、社会に出た人の人口が4分の3以上を占める時代になれば、教育の基本的な対象は大人だという、新たなパラダイムにシフトする必要があるように思う。

実は、今現在大企業では定期的にスキルや知識をアップデートし、変化する環境に適応するために研修や訓練の「学びの機会」を設けており、これが企業経営にとっては重要な要素となっている。しかし、小企業や地方企業ではその機会も少なく、時代から、特にグローバルな視点やイノベーションの観点から大きく後れをとる傾向にある。

この「大人の学び直し」を大学が担ってはどうだろうか。すでに文部科学省の方針として、リカレント教育の方向性が示されて形の上では実施されていることになっている。しかし実際は、日本で25歳以上の通学率は2%、OECD諸国の平均は25%である。MBA(経営学修士)とまではいかずとも、もっと多様で広範囲な新たなビジネススキルを習得する機会が提供されることを望む。大学のリカレント教育として、実学としてのビジネススキルだけではなく、いわゆるリベラルアーツである教養や知性を磨く分野も広く大人にも解放されるとありがたい。

大学の大きなマーケットは25歳以上の「大人」ではないだろうか。

 

ラーニング・システムズ
高原コンサルティングオフィス

高原 要次

 

 

 

ラグビーワールドカップの“感動”

2019年11月1日 金曜日

現在、ラグビーワールドカップが開催中、わが日本は予選リーグを4戦全勝で突破、惜しくも準々決勝で南アフリカに敗れはしたが、その戦いぶりに日本全国が感動した。強くなったということに対しては勿論、彼らのプレイ、一人ひとりの表情や汗、そしてどれほど激しい練習を重ねてきたかを思い、心を打たれた。

今回のラグビーワールドカップ、私は日本戦ではないがオーストラリア⇔カナダ戦を観戦した。2003年大会の日本代表監督の向井昭吾氏と気のおけない仲間3人と一緒に大分スタジアムに観に行った。まずは4万5千人収容のスタジアムに驚き、両チームの練習風景、試合開始前のオールブラックス(ニュージーランドチーム)の“ハカ”の儀式、洗練されたプレイの数々に心を奪われた。まさに感動そのものであった。

前野隆司氏(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授)に「感動のメカニズム」という本がある。「感動とは、強い感銘を受けて深く心を動かされること」であるが、この本に「感動のSTAR分析」というものが紹介されている。

 

●S:Sense

 美、味、匂い、触、心地よさ、その他の感覚(五感で感じる感動)

●T:Think

 理解、納得、発見、圧倒、その他の知見の拡大(頭で考えて「知見の拡大」に感動)

●A:Act

 努力、上達、成長、進歩、達成、特別感、稀有、遭遇、幸運、その他の体験の拡大(動きや変化による「体験の拡大」への感動)

●R:Relate

 愛、つながり、優しさ、親近感、愛着、調和、一体感、感謝、承認、尊敬、その他の関係性の拡大(人や物へのつながりに基づく「関係性の拡大」への感動)

 

今回のラグビーワールドカップの私の感動体験をSTAR分析すると

●S:Sense

 スタジアムの大きさとフィールドの緑、オールブラックスの黒のユニフォームの華麗なパスワークを観て感動した。

●T:Think

  “ハカ”の儀式から、これは勇者の誇り、自民族・自国への誇りであることを知り、感動した。

●A:Act

 4年に1度のワールドカップを観戦できたこと、また世界一のオールブラックスの圧勝の場面に立ち会えたことに感動した。

●R:Relate

 親しい仲間と観戦し温泉に浸かり、また別府市長はじめ大分のラグビーファンのみなさんと酒を飲み、歓声を上げ、親しく語ることができたことに感動した。

 21世紀に入り、社会はモノの豊かさからココロの豊かさへ進化してきた。その究極が「感動のマネジメント」ではないかと思う。

「他人を感動させようとするならば、まず自分が感動すべきである。そうでなければ、いかに巧みな作品も決して生命ではない」(ジャン・フランソワール・ミレー)

 

 

ラーニング・システムズ

高原コンサルティングオフィス

 高原 要次

 

 

小さな「レジリエンス」

2019年10月1日 火曜日

秋の収穫が済み、稲刈りが終わった田圃の畔に曼殊沙華の赤い花が咲いている景色を観るのは良いものである。今、穏やかな気持ちで田圃を眺めているが、3週間前はそうではなかった・・・。

台風と、それに続く「線状降水帯」と言われる同じ地域に次々と積乱雲が発生し、長時間連続して大量の雨を降らせた豪雨。それによって、我が家の田圃は全面倒伏。なぜ、ここが線状降水帯に・・・、なぜ収穫3週間前の今・・・、なぜ我が家の田圃だけが・・・、と気落ちした。

1年間コメ作りを休んだので地力が回復していた。間断潅水が上手くいき、稲株も大きかった。レンゲも一面に生えて養分になっていた。つまり豊作だったのである。豊作故に稲穂が重く倒れた・・・。よもや、こんな事態になろうとは・・・。収穫が少なくなる事よりは、丹精込めた私の作品が無残な姿をしていることに肩を落とした。

学生時代、実習生として1年間南米に派遣され一人でアマゾン河を遡った。月に200時間の残業をしたし、事業を起こし厳しい局面を何度も経験した。“俺はタフな人間だ”と思っていた。その私が、たかが田圃が全面倒伏したくらいで落ち込むとは、情けない。俺はこれほど軟な男だったのか・・・。

ところが、倒れた稲も20%くらいは起き上がり、70%くらいは生きている。私も、徐々に頭が上がりこの事態に対処する方法を模索し、行動し、稲刈りを終えて今平穏でいる。稲も私も「レジリエンス」。

「レジリエンス」は一般的には、“逆境に対する反応としての精神的回復力や自然的治癒力”、“ストレスや逆境にさらされても、適応し、自分の目標を達成するために再起する力”と定義される。つまり、回復力・治癒力・適応力と表現されるように、それは「力」であり能力なのである。

その能力は4つ。

①  「Control」(コントロール)

  自らがコントロール可能なものに集中して遂行する能力であり、「できること」と「できないこと」を区別できる能力。

②  「Challenge」(チャレンジ)

  新しいものに挑戦し、自分を変えていこうとする姿勢である。さまざまな身近な変化をチャンスととらえる能力。

③  「Commitment」(コミットメント)

  自らの価値観を信じ、その価値観に従った行動を継続する能力。

④  「Connectedness」(人間関係・周囲の人たちとのつながり)

  自分が頼れる人間関係を作り、それを維持する能力。職場や家族、地元、隣近所の安定した人間関係、「人間関係ネットワーク」。

事故や悲しい出来事で、気落ちしたり落ち込んだりするのは当たり前のこと、それからいかに立ち直るか、その能力を有しているか否かが問われる。そして、この出来事からくるストレスをいかにパワーに変えるか。実は、ストレスは人間をより強くする。

私の小さな「レジリエンス」でした。

 

ラーニング・システムズ

高原コンサルティングオフィス

 高原 要次

 

 

 

 

小さな「働き方改革」

2019年9月1日 日曜日

今年3月31日で株式会社を閉め、個人事業主(コンサルタント・オフィス)に形態を変えてビジネスを継続している。急に思いついて変更した訳ではなく、5年ほど前から構想し、試行し、準備して実行した。社員も今までにそれぞれが独立しているし、最後に残った社員も担当していた顧客を持って自身の会社を立ち上げた。

 

都市の一等地の広いオフィスを引き上げ、自宅の2階を改修してビジネス環境を整えてオフィスにした。毎日定時に満員電車で通う「通勤」がなくなった。直接顧客を訪問しての打ち合わせ、逆にお客さまに自宅に来てもらっての食事とビジネス・ミーティング。「勤務時間」という概念から離れ、「24時間自由時間」である。但し、ビジネスのアウトプットは保証しなければならない。国や企業レベルの“大きな働き方改革”ではなく、私個人の“小さな働き方改革”である。

 

それは、仕事の効率化・生産性向上を目指しての変革ではなく、まさに“働くこと”そのものの質の変化である。“稼ぎ”(ビジネス)の仕事だけではなく、“稼がない”(非ビジネスの)仕事も広がり、地域社会での多くの関わり、大学での学生達との語らい、日本に来ている留学生のサポート、そして農業、と「自由時間」で間口を広くして仕事をしている。更に「お寺」の仕事も加わり、深みも少し増したようにも思う。
ビジネスに限って言えば、「より売り上げを伸ばす・もっと利益を上げる」とは思わず、「より喜んでもらう・もっと価値あるものを」と志向する。そして、正々堂々のビジネスを行う。
更に言えば「次の世代」を育てる、役に立つ。これからの時代を創っていくのは若者たちであり「果敢にチャレンジする彼ら」が主演者で、歳を重ね知識と経験(智恵)のある我々は助演者として彼らをサポートする。仕事の役割も変わってくるのである。

 

今日本は、「財政破綻のリスク」、「国や企業、大学の国際競争力の低下」、「地方の衰退」、「他国への依存度が高い安全保障」と看過できない事態である。その根源的な課題は「人口減少」と「少子高齢化」であり、自分たちの将来が危うい。しかし国民の75%は「現在の生活に満足」と思っており、危機感がない。
国のグランドデザインを描きこの国を作り替える政治、企業の付加価値と効用を再設計する経営、そして各人の生き方・働き方の質を変える、“大きな働き方改革”を行わないと、この国は危うい・・・!

 

ラーニング・システムズ
高原コンサルティングオフィス 
高原 要次

 

 

「西郷南洲遺訓」

2019年8月1日 木曜日

先般、熊本市川尻の延寿寺を訪れた。三州会(薩摩・大隅・日向)が主催する「西南役薩軍戦没者慰霊祭」に出席するためである。薩摩軍の熊本鎮台攻撃の本営が川尻に置かれて兵站基地になり、この延寿寺が野戦病院になった。官軍の鎮台があった熊本の地で、西南戦争終結直後から140年毎年地元の人々と一緒に慰霊祭が行われていることに驚いた。川尻駅から延寿寺まで徒歩で15分くらいであるが、街の家々に日の丸の旗が掲げてある。街全体が薩摩軍へ好意的だった表れであり、その源は彼らが接した西郷隆盛であろう。

 

『西郷南洲遺訓』というものがある、これは薩摩人ではなく旧庄内藩の藩士たちによって刊行されたものである。庄内藩は幕末、芝三田の薩摩藩邸を焼き討ちした。その後、上野の彰義隊が敗れ、会津の鶴ヶ城が陥落した後も最後まで抵抗したのが庄内藩である。降伏後、厳しい処分が下されると思われたが、予想外に寛大な処置が施された。それが西郷の指示であったことが伝わり、西郷の名声は庄内に広まった。明治に入り旧藩主酒井忠篤は旧藩士90余名とともに鹿児島に4か月滞在した。その後も、征韓論で下野した西郷を旧庄内藩士が幾人も訪れ、西郷と交わった。

 

明治22年(1889年)大日本帝国憲法が公布され、西南戦争で剥奪された官位が西郷に戻された。これを機に、上野公園に西郷の銅像が建てられることになり、この時西郷生前の言葉や教えを集めて遺訓を発行することになった。
四十一条からなるこの遺訓、為政者の基本姿勢を述べる第一条から始まるが、第四条は

 

第四条

万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して、人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。然るに草創の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。今と成りては、戊辰の義戦も偏へに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して、面目無きぞとて、頻りに涙を催されける。

国民の上に立つ者(政治、行政の責任者)は、いつも自分の心をつつしみ、品行を正しくし、偉そうな態度をしないで、贅沢をつつしみ節約をする事に努め、仕事に励んで一般国民の手本となり、一般国民がその仕事ぶりや、生活ぶりを気の毒に思う位にならなければ、政令はスムーズに行われないものである。

ところが今、維新創業の初めというのに、立派な家を建て、立派な洋服を着て、きれいな妾をかこい、自分の財産を増やす事ばかりを考えるならば、維新の本当の目的を全うすることは出来ないであろう。
今となって見ると戊辰(明治維新)の正義の戦いも、ひとえに私利私欲をこやす結果となり、国に対し、また戦死者に対して面目ない事だと言って、しきりに涙を流された。

 

戦略家であり戦術家である大西郷が、私学校党の乱を許し、総帥にまつりあげられ、一言の指示も発せず、最後は城山で自刃するのが何とも腑に落ちなかったが、第一条を理解した上で、この第四条をみると納得がいく。
乱を起こすつもりはなく、西郷軍の趣意書の通り、「政府へ尋問の廉有此」(政府に問いただすことがある)ということであり、文字通り新政府に物申すために鹿児島を発ったのである。
薩摩人に限らず川尻や荘内の人々が感化される西郷の偉大な人柄が感じられる。その軸は「敬天愛人」か・・・。

 

ラーニング・システムズ
高原コンサルティングオフィス                                                
 高原 要次

 

ロールズ「正義論」 ~ 道徳心発達の3段階 ~

2019年7月1日 月曜日

 大学卒業後、十余年在籍した精密機械メーカーの敬愛する先輩(副社長)から「ロールズ正義論入門」という本が送られてきた。ジョン・ボードリー・ロールズが1971年に著した「正義論 A Theory of Justice」の解説書であるが、私はこの本は勿論ロールズという名前も知らなかった。ロールズは、米国の哲学者であり、「正義論」はかなりポピュラーな書籍であるらしい。
 「正義論」では、二つの原理が述べられている。

第一原理:
各人は基本的自由に対する平等の権利を持つべきである。その基本的自由は、他の人々の同様な自由と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲にわたる自由でなければならない。

第二原理:
社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすものでなければならない。
1.それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。(格差原理)
2.公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随するものでしかないこと。(機会均等原理)
 
 この本、少々難解である・・・。
 その中で、正義・道徳の発達について、興味ある記述がある。
 正義の感覚は人間の社会性の中心的な動機である。正義の感覚がないことは、性格的に欠陥があることを意味する。正義の感覚は良好な条件の下であれば、家庭環境、友人関係や、そのほかの社会的な結びつきの影響で、愛情・好意・友情・同朋意識など生得的情操の一部として、大人になるまでの間に正常に発達する。
 道徳的発達の第一段階は、家庭のあり方が正義にかなっている時、子供が親への愛情をもつ段階。第二段階は、家庭を越えた結びつきによって(友人、隣人など)、仲間・同輩者への忠誠心から道徳的動機を養う段階。第三段階は、抽象的で普遍的な原理原則を見極める道徳的動機を発展させる段階。
 私には6歳の孫娘がいる。彼女の成長を身近に感じる。子どもは、自分に対する親の愛情と信頼によって、少しずつ親の言うことを聞くようになる。子どもはまだ親がそう命じる理由を理解できないが、親を信頼しているから、素直にその言いつけに従う。このような情操が養われると、家の外でも親の言いつけに従うような道徳的動機が身につく(権威の道徳)。次の段階では、つき合う範囲が広がり、友達・クラスメイト・近所の人・スポーツ仲間など集団の中で、自分の位置や役割を見つけようとする。そして集団はさまざまな役割や地位によって構成されていることを知り、その子が「協力する」ことの意義を理解する(結びつきの道徳)。家庭での愛情と信頼を植え付けられ、仲間に対する友情と相互確信を養った後の段階は、特定の人や集団に関わる動機ではなく、抽象的で普遍的な原理原則に対する「全体の善」を希求する段階である。(原理の道徳)
 今6歳の孫娘、まさに幼稚園で「結びつきの道徳」を育んでいる。我が儘だった彼女が、集団の中で協力することを覚え、どう行動すべきか社会のルールを学んでいる。そして、いずれ彼女の祖父と“原理原則”について語る日が来るであろう。楽しみだ・・・。

ラーニング・システムズ
高原コンサルティングオフィス
高原 要次