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「論語」の名言

2021年2月1日 月曜日

「論語」は20編からなる中国の思想書である。孔子没後、門人による孔子の言行記録を、儒家の一派が編集したもので、四書のひとつ。処世の道理、国家・社会的倫理に関する教訓、政治論、門人の孔子観など多方面にわたる。日本には応神天皇の時代に百済 (くだら) を経由して伝来したといわれる。その中から、名言を紹介したい。(月刊「致知」名言集より)

「学びて時に之(これ)を習う、亦(また)説ばしからずや。朋(とも)遠方より来(きた)る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや」
(聖賢の道を学んで、時に応じてこれを実践し、その真意を自ら会得することができるのは、なんと喜ばしいことではないか。共に道を学ぼうとして、思いがけなく遠方から同志がやってくるのは、なんと楽しいことではないか。だが人が自分の存在を認めてくれなくても、怨むことなく、自ら為すべきことを努めてやまない人は、なんと立派な人物ではないか)

 「吾(われ)十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)い、七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」

(十五の年に聖賢の学に志し、三十になって一つの信念をもって世に立った。しかし世の中は意のままには動かず、迷いに迷ったが、四十になって物の道理がわかるにつれ迷わなくなった。五十になるに及び、自分が天のはたらきによって生まれ、また何者にもかえられない尊い使命を授けられていることを悟った。六十になって、人の言葉や天の声が素直に聞けるようになった。そうして七十を過ぎる頃から自分の思いのままに行動しても、決して道理を踏み外すことがなくなった)

 「徳は孤(こ)ならず、必ず隣(となり)有り」
(報いを求めず、陰徳を積んでいる者は、決して一人ぼっちではない。必ず思わぬところにこれを知る者がいるものだ)

「天を怨(うら)みず、人を尤(とが)めず。下学(かがく)して上達す。我を知る者はそれ天か」
(わたしは天を怨むこともなく人を責めることもなく、日常の問題から出発して、ひたすら自分を向上させることに努めてきた。そういう私を理解してくれるのは天だけであろうか)

「士は以て弘毅(こうき)ならざるべからず。任重くして道遠し」
(指導的立場にある人物は、広い視野と強い意志力を持たなければならない。なぜなら、責任が重く、道も遠いからである)

「学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」
(読書にばかりふけって思索を怠ると、せっかくの知識が身につかない。逆に思索にばかりふけって読書を怠ると、独断に陥ってしまう)

「苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり」
苗には芽吹いても穂が出ず花が咲かせないものがあり、穂が出ても実を結ばないものがあるように人間の成長も様々である

「道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ」
人として正しい道に志し、これを実践する徳を本とし、仁の心から離れないようにする。そうして世に立つ上に重要な芸に我を忘れて熱中する)

「力足らざる者は中道にして廃す。今汝は画(かぎ)れり」
(本当に力が足りない者なら、途中で力尽きてしまうだろう。お前は自分で自分の力を見限っているだけだ)

 

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「日本国憲法」

2021年1月1日 金曜日

 日本国憲法を守らなければならいのは誰でしょうか?多くの人が、それは国民と答えるのだが、間違いである。憲法第九十九条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と記されている。守らなければならないのは、為政者である天皇・国会議員・裁判官・公務員なのである。憲法改正の是非が問われているが、そもそも守らねばならぬ人々を知らずして、議論を進めるのははなはだ滑稽であろう・・・。
 その上で、憲法改正に対して賛成か反対かを問われれば、私は憲法改正に賛成である。主な理由は3つ。
 1.太平洋戦争終了後の占領下において連合国(アメリカ)によって定められたこと
 2.前提が、諸外国は平和を愛するものであり、公正と信義を信頼する、となっていること
 3.公布された1946年と、75年後の2021年現在とでは、環境が大きく異なっていること
 1945年9月連合国軍が日本を占領した(実質的にはアメリカ軍による単独占領)。そしてマッカーサ―は、幣原喜重郎首相に憲法改正(実質的には明治憲法を廃止し、新たな憲法をつくる)を指示し、憲法問題調査員会が発足し、憲法改正要綱としてGHQに提出した。その内容は明治憲法を改正したものになっており、マッカーサーはこれを認めず、GHQ民生局(ホイットニー少将)に草案作成を命じた。民生局の25名が手分けして作業をし、極めて短期間で草案した。占領軍の意図は、日本国民が決してアメリカに歯向かわないように、占領政策に従順なように、そして今までの日本国を否定するように、であった。更に、国際社会は純粋に平和を愛する国家であると謳い、周辺諸国は戦争や侵略を行なわないという前提にして、すべての戦力を放棄させた。民生局の彼らは、これは占領下の暫定的なもの、占領基本法のようなものと認識していたそうである。1946年11月3日に、一応吉田茂首相以下日本人自身での公布になっているが、もしこの草案をのまなければ、天皇が戦争裁判にかけられていた。
 憲法とは、国の政治の基本を定めるもので、国民の権利や国家の統治に関する規定である。国を統治するにおいて国際社会や国内環境が大きく作用するが、この日本国憲法が公布された1946と75年後の現在とでは、国際社会は大きく異なる。日本の周辺国である韓国・北朝鮮・中国は排日・嫌日であり好戦的である。わが国の安全は危機にさらされている。また、経済活動や社会活動はグローバルになり、貿易や経済上の問題、感染症や疾病等、一国だけでは解決できない。このような環境の変化に合わせて、国の基本法である憲法も柔軟に改正すべきではなかろうか。因みに同じ敗戦国のドイツは62回も憲法を改正している。

 

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「トモダチ作戦(Operation Tomodachi)」

2020年12月1日 火曜日

 2011年3月11日起きた東日本大震災、その復旧支援に日本政府の要請を受けてアメリカ海軍・海兵隊・空軍が連携し、2万4000人の将兵、190機の航空機、24隻の艦艇が参加した。ヘリコプターを駆使して食料、水などの救援物資を被災地に送り届けたり、救助活動を行ったりといった活動により、連絡路が分断され被災地で孤立した罹災者を支援した。また、被害を受けた仙台空港等インフラの復旧を短期間でやり遂げた。この米軍の連携した支援作戦は「トモダチ作戦(Operation
Tomodachi)」と言われ、まさに被災した多くの方々を救い、心から感謝された。
 米韓合同演習のために西太平洋を航行中であった空母「ロナルド・レーガン」は、急遽行先を変更、福島沖から被災地に救援物資を運ぶ活動に従事することになった。しかし、兵士たちは、津波がメルトダウンを引き起こしたことや太平洋に放射能ブルーム(雲)が広がっていることは知らされていなかった。また、原発事故後最初の1週間は、放射能防護の無い状態で、船上で活動した者もいた。
 帰国後しばらくして、救援活動にあたった兵士の中に、癌を発症したり、甲状腺を患ったり、白血病で亡くなった者がでた。患者は次々に増えて400名に達しているという。このことを日本政府もアメリカ政府も公にはせず、両国のメディアも報道しない。
 健康被害にあった「ロナルド・レーガン」元乗組員8名が「放射性物質の危険性が正しく伝えられずに救援活動を続けた結果、被曝することになった」として東京電力などに損害賠償を求めて、サンディエゴの連邦地裁に提訴した。しかし、アメリカ議会の要請に応じて提出された国防総省のレポートには、健康被害と放射能の因果関係は断定できなかったとしている。
 元総理の小泉純一郎氏は、総理時代は原発に賛成し、推進していた。しかし、現在は原発に反対している。この小泉氏が、「ともだち作戦」と「レーガン訴訟」の話を聞き、「日本人として見て見ぬふりはできない。自分が訪米することで日本国民に実態を知ってもらえれば」と訪米を決意し、3日間で10名の元乗組員たちとの面会を行った。
 面会終了後に記者会見で「日本のために、救援活動に全力を尽くしてくれた米国の兵士たちが重い病に苦しんでいる。見過ごすことはできない!」と訴え、支援の必要性を強調した。
 政府に直接かけあったが、動こうとしない。そこで小泉氏は「トモダチ支援基金」を立ち上げた。「トモダチ作戦」で救援活動に関わり、帰国後重い病気で苦しんでいる元兵士に見舞金を届けようと。
日本政府が動けないのであれば、日本人として動こう、と。そして、多くの日本人が動き1億円を見舞金として送った。

 

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「氷川清話」

2020年11月1日 日曜日

 徳川の幕臣勝海舟は、幕藩体制瓦解の中、数々の難局に手腕を発揮し、江戸城を無血開城に導いて次代を拓いた。明治の世になり、晩年海舟が赤坂氷川の自邸で、歯に衣着せず語ったことが「氷川清話」として残っている。痛烈な時局批判とともに、辛辣な人物評が語られている。“おれは、今までで恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲である”と、語り始め、以下のような人物評論を行っている。

 西郷南洲 :“坂本が薩摩からかへって来て言ふには、成程西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく
                  響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろうといったが、坂本もなかなか鑑識のある奴だヨ。西郷に及ぶこと
                  の出来ないのは、その大胆識と大誠意にあるのだ”

 横井小楠 :“たいていの人は横井をとりとめの無い人だと言ったヨ。維新の初めに、大久保すら、小楠を招いたけれども思いのほか、だと
                  いって居た。しかし小楠はとても尋常の物尺では分からない人物だ。実際、物のよく分かって、途方もない聡明な人だったヨ”

 佐久間象山:“佐久間象山は、物知りだったヨ。学問も博いし、見識も多少持っていたよ。しかし、どうも法螺吹きで困るよ。あんな男を実際
                  の局に当たらしたらどうだろうか・・・。何とも保証は出来ないノー。

 木戸孝允 :“木戸松菊は、西郷などに比べると非常に小さい。しかし綿密な男サ。使いどころによりては、ずいぶん使える奴だった。
         あまり用心しすぎるので、とても大きなことには向かないがノ”

 島津斉彬 :“斉彬公はえらい人だったヨ。西郷を見抜て庭番に用ゐたところなどは、なかなか偉い。ある時におれは藩邸の園を散歩して
                  居たら、公は二ツの事を教えて下さツたヨ。それは人を用ゐるには、急ぐものではないといふ事と、一ツの事業は、十年経た
                  ねば取りとめの付かぬものだといふ事と、この二ツだツたツケ。”

 二宮尊徳 :“二宮尊徳には一度会ったが、至って正直な人だったヨ。全体あんな時勢には、あんな人物が沢山出来るものだ。時勢が人
                  を作る例は、おれは確かにみたヨ。”

 徳川の幕臣から薩摩人・長州人、殿様である徳川慶喜・島津斉彬から農村の二宮尊徳、あるいは坂本龍馬らの浪人等、種々の人物と実際に関わっての海舟の人物評であるが、その評価の基準はどこにあるのであろうか。翻って、それは勝海舟自身の基幹となる考えや信念、価値観であろうが、それはどこで培われたのであろうか。

 勝自身が語っている、“座禅と剣術とがおれの土台となって、後年大層ためになった。瓦解の時分、万死の境を出入りして、つひに一生を全うしたのは、全くこの二つの効であった”と。

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「プロジェクト・アリストテレス(Project Aristotle)」

2020年10月1日 木曜日

  Google社は、2012年に生産性向上計画に着手した。この計画は、アリストテレスの言葉「全体は部分の総和に勝る」にちなみ、「プロジェクト・アリストテレス(Project Aristotle)」と名付けられた。Google社内には数百のチームがあるが、生産性の高いチームもあれば、そうでないチームもある。それを分析し、生産性の高い働き方を提案するのが、このプロジェクト・アリストテレスの目的であった。

  その結果、リサーチチームは、真に重要なのは「誰がチームのメンバーであるか」よりも「チームがどのように協力しているか」であることを突き止めた。チームの効果性に影響する因子は、強い順に次のように紹介されている。

 心理的安全性:心理的安全性とは、対人関係においてリスクある行動を取ったときの結果に対する個人の認知の仕方、つまり、「無知、
  無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられるかどうかを意味する。心理的
  安全性の高いチームのメンバーは、他のメンバーに対してリスクを取ることに不安を感じていない。自分の過ちを認めたり、質問をした
  り、新しいアイデアを披露したりしても、誰も自分を馬鹿にしたり罰したりしないと信じられる余地がある。

  相互信頼: 相互信頼の高いチームのメンバーは、クオリティの高い仕事を時間内に仕上げる(これに対し、相互信頼の低いチームのメン
  バーは責任を転嫁する)。

  ・構造と明確さ: 効果的なチームをつくるには、職務上で要求されていること、その要求を満たすためのプロセス、そしてメンバーの行動が
  もたらす成果について、個々のメンバーが理解していることが重要となる。目標は、個人レベルで設定することもグループレベルで設定
  することもできるが、具体的で取り組みがいがあり、なおかつ達成可能な内容でなければならない。Google では、短期的な目標と長期
  的な目標を設定してメンバーに周知するために、「目標と成果指標(OKR)」という手法が広く使われている。

  ・仕事の意味: チームの効果性を向上するためには、仕事そのもの、またはその成果に対して目的意識を感じられる必要がある。仕事の
  意味は属人的なものであり、経済的な安定を得る、家族を支える、チームの成功を助ける、自己表現するなど、人によってさまざまであ
  る。

  インパクト: 自分の仕事には意義があるとメンバーが主観的に思えるかどうかは、チームにとって重要なことである。個人の仕事が組織
  の目標達成に貢献していることを可視化すると、個人の仕事のインパクトを把握しやすくなる。

  心理的安全性とは、「一人ひとりが恐怖や不安を感じることなく、安心して発言・行動できる状態」のことを指し、そのようなチーム環境を作るためには、他者への理解や心遣い、共感が必要であるという。「心理的安全性」が成功への最も重要な因子とは、プロジェクト・アリストテレス、面白い結果を出したものである。

 

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「修身」

2020年9月1日 火曜日

 かつて日本には、「修身」という教科が小学校(尋常小学校・国民学校)で教えられていた。明治23年(1890年)の教育勅語発布から、昭和20年(1945年)の敗戦までである。

 「修身」、そもそもは儒教の教典「大学」に由来し、「自天子以至庶民、壹是皆以脩身爲本(天子より以て庶人に至るまで、壱是に皆身を脩むるを以て本と為す)」とある。また明治初年、たまたま慶應義塾関係者小幡篤次郎が米国の書物「The Elements of Moral Science」(Francis Wayland編纂)と出会い、福沢諭吉とともにこれを「修身論」と翻訳している。

 「明治23年(1890年)、忠孝を核とする儒教主義道徳と近代市民道徳両面をあわせもった教育勅語が発布されたが、筆頭教科に位置づけられていたのが「修身科」であった。敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、国史・地理と並んで「修身」を軍国主義教育とみなし、授業を停止する覚書を出した。

 「修身」の教科書では25の徳目を扱っている

 ・家庭のしつけ ・親孝行 ・家族、家庭 ・勤労、努力 ・勉学、研究 ・創意、工夫 ・公益、奉仕 ・進取の気象 ・博愛、慈善 ・資質、

  倹約・責任、職分 ・友情 ・信義、誠実 ・師弟 ・反省 ・正直、至誠 ・克己、節制 ・謝恩 ・健康、養生 ・武士 ・愛国心 ・人物、

  人格 ・公衆道徳 ・国旗と国家 ・国際協調

 この修身、徐々に「尊王愛国ノ志気」、「忠良ナル臣民」、「皇国民」という方向に強調されて行き、それが軍国主義教育と判断されたのであるが、「徳目を学び」「身を脩める」という本来の意味では、時代や国、文化に縛られない普遍的な内容であり、十分に今も通用するように思う。

 教育には「知育」、「徳育」・「体育」の3つがあるが、敗戦後は一部道徳教育復活の機運はあるが、学校教育で「徳育」はなされていない。それを家庭で行っているかと言えば、それも否。そして「徳育」を施されていない生徒が成長し親となり、そのまた子供が今親になろうとしている。社会性に著しく欠けた言動が目立ち、家族や家庭においても驚愕する事件が頻発する、これが日本人かと疑いたくなる・・・。

 このような人種が政治家の中にも、経営者の中にも、教師にも散見されるが、実に残念である・・・。

 明治の日本人は、実に凜としていた。それは江戸期に「仁・義・礼・智・信」の五常を藩校や寺子屋で学び、規範としていたからではないだろうか。戦後の政治家、経営者も気骨のあるリーダーがいた、それは戦前の「修身」の賜物ではなかろうか。

 

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「母の日、父の日、こどもの日」

2020年8月1日 土曜日

 わが国では「母の日」が5月の第二日曜日、「父の日」が6月の第三日曜日、そして「こどもの日」が5月5日である。「こどもの日」は祝日で、「母の日」・「父の日」は祝日ではない。

「母の日」・「父の日」は、いずれもアメリカ生まれの記念日で、20世紀初頭から始まった母への、父への、感謝と敬愛の日である。「こどもの日」は、そもそもは「端午の節句」で奈良時代に中国からもたらされ、江戸期に男子が強く育つようにと願い、兜や鯉のぼりを飾って祝うようになった。そして現在は、この日を「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」休日、と定められている。母に感謝する、と定められているが、父はでてこない・・・。それほど、母への感謝が大きいということか。

 東洋思想家の田口佳史氏によれば、こどもは単に時間がたって大人になるのではなく、親や社会に育てられて大人になる。際立って重要なのが親であり、「母性」と「父性」で育てられる。「母性」は、情緒的・主観的な愛であり「慈愛」という。「父性」は、論理的・客観的な愛であり「義愛」という。幼少期(3才~6才)に「慈愛」が育って「惻隠の心」(困っている人を見て気の毒だと思う心)が生まれ、「義愛」が育って「羞悪の心」(自分の不善を恥じ他人の悪を憎む心)が生まれる。それに、二つの要素が加わる。「辞譲の心」(謙遜して他に譲る心)と「是非の心」(道理に基づき善し悪しを判断する心)である。以上の4つの要素を「四端」、四つの重大な端緒(事のはじまり、いとぐち、手がかり)という。とのことである。

 昭和の時代のパラダイムは、父親は外で働き母親が家を守る、であった。しかし、今は男女平等、男女雇用機会均等法、ワークライフバランス等で父親・母親の役割も変った。「イクメン」と言われる、妻の母親業を支え、ともに子育てに励む父親が増えてきた。それ自体は喜ばしいことであるが、父親が「母性」を施しているのではないだろうか、「父性」が足りない。また、近年中学校の卒業式に立ち会うことが多いが、校長や来賓の祝辞や挨拶には、優しさ、平等、平和、気遣い等の言葉が並び、鍛錬や気概、厳しさ、正しさ等の言葉はあまり聞かない。社会が「母性」化して「父性」が欠如しているのではないだろうか。

 父親が母性化する、社会が母性化するのは何故か。それは、父親自身が自己の鍛錬を怠る、気概がない、善悪を判断する根本を押さえていない、からかも知れない。社会が母性化するのは何故か。民主主義の名のもとに、個人個人が自己の幸せのみを追い求め、国を社会を良くするために“汨羅の淵に波騒ぎ”という屈原の気概がない・・・。

 

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「貞観政要」

2020年7月1日 水曜日

 「貞観政要」(じょうがんせいよう)とは、中国唐代の呉競(ごきょう)が編纂したとされる唐の第二代皇帝、太宗・李世民の言行録である。
太宗と、彼を補佐した重臣たちとの問答を中心に編集されてた全10巻40篇からなる書物である。その後の中国皇帝が帝王学を学ぶために愛読し、日本には平安時代に伝来しており、北条政子や徳川家康、明治天皇も学んだと言われている。1300年前の中国の書物が延々と読み継がれ、現在でも多くの経営者が手許に置いて意思決定の際の参考にするという。
 この中に「三鏡」についての記述がある。「三鏡」とは、銅の鏡・歴史の鏡・人の鏡、である。
 「太宗、嘗て侍臣に謂いて曰く、
夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。
古を以て鏡と為せば、以て興替を知る可し。
人を以て鏡と為せば、以て得失を明らかにす可し。
朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過ちを防ぐ」
・鏡に自分を映し、元気で明るく楽しい顔をしているかチェックする(銅の鏡)
・過去の出来事しか将来を予想する教材がないので、歴史を学ぶ(歴史の鏡)
・部下の厳しい直言や諫言を受け入れる(人の鏡)
 これらの3つの鏡、が君主(リーダー)には不可欠である、と。
 また、この本を座右の書とする出口治明氏(立命館アジア太平洋大学学長)は、組織マネジメント上で5つのヒントがあると述べている。それは、
①  組織はリーダーの器以上のことは何一つできない。
②  リーダーは自分にとって都合の悪いことを言ってくれる部下を傍に置くべきである。
③  臣下(部下)は茶坊主になってはならない。上司におもねってはならない。
④  君は舟なり、人は水なり。水はよく舟を載せ、またよく舟を覆す(「荀子」)。 
舟(君主・リーダー)は水(人民・部下)次第で安定もすれば転覆もする。
⑤  リーダーは常に勉強し続けなければならない。
と。
 この「貞観政要」は、まさに帝王学の要諦である。「時代を越えた普遍のリーダーシップ」が凝縮されている。

 

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「ビルマ戦線と拉孟守備隊」

2020年6月1日 月曜日

 1944年9月7日、中国雲南省の高黎貢山系の南端にある拉孟(らもう)で、約1300名の日本軍第56師団第113連隊主力の拉孟守備隊が全滅した。第56師団は久留米の部隊であり、久留米に入営(龍部隊)した私の叔父高原萬治は、ここ拉孟で戦死した・・・。

 1941年12月のアジア・太平洋戦争開始以降、日本軍は東南アジアや中国大陸に対する南方作戦を開始した。この南方作戦の主な目的は、アジアにおける米英蘭等の南方補給地および軍事的要塞を占領確保し、同時に南方の石油資源等を獲得することにあった。また、日本軍が策定したビルマ進攻作戦には、資源要地の占領確保以外に別の狙いがあった。一つは、ビルマ工作の一環としてビルマ独立運動の志士らを扇動し、英本国の支配から分断すること、もう一つは北ビルマから重慶の蒋介石政権を支援する連合軍の補給路(援蒋ルート)を陸路で遮断することであった。

 ビルマ戦線で、最も大きな作戦は90,000人を越える人数を動員した「インパール作戦(日本軍名ウ号作戦)」で、援蒋ルートの遮断を戦略目標として、イギリス領インド帝国北東部の都市インパール攻撃を目指した作戦である。この作戦は、第15軍司令官の中将牟田口廉也の無謀と無能故に、後方の補給もなく雨期の山岳部での過酷な戦いを強い膨大な数の兵を死なせた。このインパールの大失敗により実に多くの部隊が巻き添えになり、犠牲を続発する。その最たるものが「拉孟の戦い」である。

 「拉孟の戦い」は、日本軍と中国国民党・アメリカ軍(雲南遠征軍)との戦いで、1942年頃には日本軍が優位に立っていたが、アメリカ軍の空輸によって近代的な装備を身に付けた中国軍が1944年6月2日から反撃に転じ、9月7日日本軍の全ての陣地が陥落し、戦闘は終結した。戦闘可能人員は一人もおらず、玉砕である。日本軍守備隊1300名、これに対し中国軍41500名、何と1:32。大砲・銃弾・火器等の武器は少なく、師団からの補給も困難の中、約100日間壮絶な戦いを展開した。

 この拉孟守備隊の壮絶な戦いの中に、我が叔父がいた。戦死した日付は9月7日となっている。

 父も久留米の部隊に入営し下士官として満州から北支に行っている。父は私に、彼の兄がビルマで戦死したことは語ったが、拉孟守備隊の詳しいことは言わなかった。祖母は、戦死した長男のことは一切語らなかった。

 今、こうして叔父のことを、先の戦争のことを調べてみると、「語り継ぐべき戦い」、「語り継ぐべき戦争」があるように思う・・・。

 

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教本「日本の歴史」と教科書「日本史B」

2020年5月1日 金曜日

 5月27日、1905年(明治38年)のこの日、日本の連合艦隊がヨーローッパから回航してきたロシアのバルチック艦隊を全滅させた。“日本海海戦”である。もし、この戦いで日本が負けていれば、この国は滅びこの土地はロシア領となっているであろう。かつてはこの日が“海軍記念日”とされ、日露戦争・日本海海戦の物語は司馬遼太郎「坂の上の雲」に綴られている。海戦が行われた玄界灘を望む高台(福岡県福津市)に司令長官東郷平八郎を祀る神社が建立されており、毎年この日に春季大祭が行われる。

 ブラジルに移住した先輩(徳力啓三氏)から「知っておきたい日本の歴史」という本が送られてきた。ブラジルに住む日本人子弟のために彼が数年をかけて編纂した歴史教本である。彼が考える「知っておきたい日本の歴史」をコンパクトに(全140頁)にまとめた歴史教本である。この中に「国家の命運をかけた日露戦争」として、乃木希典率いる陸軍の旅順要塞戦・奉天会戦と、東郷平八郎司令長官の下でバルチック艦隊を全滅させた日本海海戦が記述されており、その後のポーツマス条約への経緯が記されている。

 さて現在、日本の高校で使われている「日本史B」の教科書(全417頁)には「日露戦争」についてどのように記述されているのであろうか。旅順要塞戦、奉天会戦、日本海海戦が行われたことは記述されている。しかし、乃木希典・東郷平八郎の名前はない。さらにページを捲って「社会運動」の項には、賀川豊彦・吉野作蔵・山川均・平塚らいてう・市川房江等多くの名前が登場する。

 はたして“日本の歴史”のどんなことを我々は知っておくべきことなのか、何が重要なのか・・・。この「日本史B」教科書を読む限り、その判断軸ははなはだ疑問である。戦前教育の反動なのか、軍人は一切掲載されない、国家観を持たないように、英雄や誇りに繋がらないように、という意図か・・・。そうでないと、文部科学省検定にはならないのであろうか。

 ブラジルでは自国の歴史を小学校から学び、自国の理解を深め、自国への誇りを養う。日本では、自国の歴史を学ぶという位置づけではなく、教科(試験科目)としての日本史を憶えるのである。日本人として日本の国を知ることは当然である。特に、日本の歴史を学ぶことは国家観を養う上で必須の要件である。しっかりと学びたい。

 

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