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「氷川清話」

2020年11月1日 日曜日

 徳川の幕臣勝海舟は、幕藩体制瓦解の中、数々の難局に手腕を発揮し、江戸城を無血開城に導いて次代を拓いた。明治の世になり、晩年海舟が赤坂氷川の自邸で、歯に衣着せず語ったことが「氷川清話」として残っている。痛烈な時局批判とともに、辛辣な人物評が語られている。“おれは、今までで恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲である”と、語り始め、以下のような人物評論を行っている。

 西郷南洲 :“坂本が薩摩からかへって来て言ふには、成程西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく
                  響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろうといったが、坂本もなかなか鑑識のある奴だヨ。西郷に及ぶこと
                  の出来ないのは、その大胆識と大誠意にあるのだ”

 横井小楠 :“たいていの人は横井をとりとめの無い人だと言ったヨ。維新の初めに、大久保すら、小楠を招いたけれども思いのほか、だと
                  いって居た。しかし小楠はとても尋常の物尺では分からない人物だ。実際、物のよく分かって、途方もない聡明な人だったヨ”

 佐久間象山:“佐久間象山は、物知りだったヨ。学問も博いし、見識も多少持っていたよ。しかし、どうも法螺吹きで困るよ。あんな男を実際
                  の局に当たらしたらどうだろうか・・・。何とも保証は出来ないノー。

 木戸孝允 :“木戸松菊は、西郷などに比べると非常に小さい。しかし綿密な男サ。使いどころによりては、ずいぶん使える奴だった。
         あまり用心しすぎるので、とても大きなことには向かないがノ”

 島津斉彬 :“斉彬公はえらい人だったヨ。西郷を見抜て庭番に用ゐたところなどは、なかなか偉い。ある時におれは藩邸の園を散歩して
                  居たら、公は二ツの事を教えて下さツたヨ。それは人を用ゐるには、急ぐものではないといふ事と、一ツの事業は、十年経た
                  ねば取りとめの付かぬものだといふ事と、この二ツだツたツケ。”

 二宮尊徳 :“二宮尊徳には一度会ったが、至って正直な人だったヨ。全体あんな時勢には、あんな人物が沢山出来るものだ。時勢が人
                  を作る例は、おれは確かにみたヨ。”

 徳川の幕臣から薩摩人・長州人、殿様である徳川慶喜・島津斉彬から農村の二宮尊徳、あるいは坂本龍馬らの浪人等、種々の人物と実際に関わっての海舟の人物評であるが、その評価の基準はどこにあるのであろうか。翻って、それは勝海舟自身の基幹となる考えや信念、価値観であろうが、それはどこで培われたのであろうか。

 勝自身が語っている、“座禅と剣術とがおれの土台となって、後年大層ためになった。瓦解の時分、万死の境を出入りして、つひに一生を全うしたのは、全くこの二つの効であった”と。

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高原 要次

「プロジェクト・アリストテレス(Project Aristotle)」

2020年10月1日 木曜日

  Google社は、2012年に生産性向上計画に着手した。この計画は、アリストテレスの言葉「全体は部分の総和に勝る」にちなみ、「プロジェクト・アリストテレス(Project Aristotle)」と名付けられた。Google社内には数百のチームがあるが、生産性の高いチームもあれば、そうでないチームもある。それを分析し、生産性の高い働き方を提案するのが、このプロジェクト・アリストテレスの目的であった。

  その結果、リサーチチームは、真に重要なのは「誰がチームのメンバーであるか」よりも「チームがどのように協力しているか」であることを突き止めた。チームの効果性に影響する因子は、強い順に次のように紹介されている。

 心理的安全性:心理的安全性とは、対人関係においてリスクある行動を取ったときの結果に対する個人の認知の仕方、つまり、「無知、
  無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられるかどうかを意味する。心理的
  安全性の高いチームのメンバーは、他のメンバーに対してリスクを取ることに不安を感じていない。自分の過ちを認めたり、質問をした
  り、新しいアイデアを披露したりしても、誰も自分を馬鹿にしたり罰したりしないと信じられる余地がある。

  相互信頼: 相互信頼の高いチームのメンバーは、クオリティの高い仕事を時間内に仕上げる(これに対し、相互信頼の低いチームのメン
  バーは責任を転嫁する)。

  ・構造と明確さ: 効果的なチームをつくるには、職務上で要求されていること、その要求を満たすためのプロセス、そしてメンバーの行動が
  もたらす成果について、個々のメンバーが理解していることが重要となる。目標は、個人レベルで設定することもグループレベルで設定
  することもできるが、具体的で取り組みがいがあり、なおかつ達成可能な内容でなければならない。Google では、短期的な目標と長期
  的な目標を設定してメンバーに周知するために、「目標と成果指標(OKR)」という手法が広く使われている。

  ・仕事の意味: チームの効果性を向上するためには、仕事そのもの、またはその成果に対して目的意識を感じられる必要がある。仕事の
  意味は属人的なものであり、経済的な安定を得る、家族を支える、チームの成功を助ける、自己表現するなど、人によってさまざまであ
  る。

  インパクト: 自分の仕事には意義があるとメンバーが主観的に思えるかどうかは、チームにとって重要なことである。個人の仕事が組織
  の目標達成に貢献していることを可視化すると、個人の仕事のインパクトを把握しやすくなる。

  心理的安全性とは、「一人ひとりが恐怖や不安を感じることなく、安心して発言・行動できる状態」のことを指し、そのようなチーム環境を作るためには、他者への理解や心遣い、共感が必要であるという。「心理的安全性」が成功への最も重要な因子とは、プロジェクト・アリストテレス、面白い結果を出したものである。

 

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高原 要次

 

「修身」

2020年9月1日 火曜日

 かつて日本には、「修身」という教科が小学校(尋常小学校・国民学校)で教えられていた。明治23年(1890年)の教育勅語発布から、昭和20年(1945年)の敗戦までである。

 「修身」、そもそもは儒教の教典「大学」に由来し、「自天子以至庶民、壹是皆以脩身爲本(天子より以て庶人に至るまで、壱是に皆身を脩むるを以て本と為す)」とある。また明治初年、たまたま慶應義塾関係者小幡篤次郎が米国の書物「The Elements of Moral Science」(Francis Wayland編纂)と出会い、福沢諭吉とともにこれを「修身論」と翻訳している。

 「明治23年(1890年)、忠孝を核とする儒教主義道徳と近代市民道徳両面をあわせもった教育勅語が発布されたが、筆頭教科に位置づけられていたのが「修身科」であった。敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、国史・地理と並んで「修身」を軍国主義教育とみなし、授業を停止する覚書を出した。

 「修身」の教科書では25の徳目を扱っている

 ・家庭のしつけ ・親孝行 ・家族、家庭 ・勤労、努力 ・勉学、研究 ・創意、工夫 ・公益、奉仕 ・進取の気象 ・博愛、慈善 ・資質、

  倹約・責任、職分 ・友情 ・信義、誠実 ・師弟 ・反省 ・正直、至誠 ・克己、節制 ・謝恩 ・健康、養生 ・武士 ・愛国心 ・人物、

  人格 ・公衆道徳 ・国旗と国家 ・国際協調

 この修身、徐々に「尊王愛国ノ志気」、「忠良ナル臣民」、「皇国民」という方向に強調されて行き、それが軍国主義教育と判断されたのであるが、「徳目を学び」「身を脩める」という本来の意味では、時代や国、文化に縛られない普遍的な内容であり、十分に今も通用するように思う。

 教育には「知育」、「徳育」・「体育」の3つがあるが、敗戦後は一部道徳教育復活の機運はあるが、学校教育で「徳育」はなされていない。それを家庭で行っているかと言えば、それも否。そして「徳育」を施されていない生徒が成長し親となり、そのまた子供が今親になろうとしている。社会性に著しく欠けた言動が目立ち、家族や家庭においても驚愕する事件が頻発する、これが日本人かと疑いたくなる・・・。

 このような人種が政治家の中にも、経営者の中にも、教師にも散見されるが、実に残念である・・・。

 明治の日本人は、実に凜としていた。それは江戸期に「仁・義・礼・智・信」の五常を藩校や寺子屋で学び、規範としていたからではないだろうか。戦後の政治家、経営者も気骨のあるリーダーがいた、それは戦前の「修身」の賜物ではなかろうか。

 

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「母の日、父の日、こどもの日」

2020年8月1日 土曜日

 わが国では「母の日」が5月の第二日曜日、「父の日」が6月の第三日曜日、そして「こどもの日」が5月5日である。「こどもの日」は祝日で、「母の日」・「父の日」は祝日ではない。

「母の日」・「父の日」は、いずれもアメリカ生まれの記念日で、20世紀初頭から始まった母への、父への、感謝と敬愛の日である。「こどもの日」は、そもそもは「端午の節句」で奈良時代に中国からもたらされ、江戸期に男子が強く育つようにと願い、兜や鯉のぼりを飾って祝うようになった。そして現在は、この日を「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」休日、と定められている。母に感謝する、と定められているが、父はでてこない・・・。それほど、母への感謝が大きいということか。

 東洋思想家の田口佳史氏によれば、こどもは単に時間がたって大人になるのではなく、親や社会に育てられて大人になる。際立って重要なのが親であり、「母性」と「父性」で育てられる。「母性」は、情緒的・主観的な愛であり「慈愛」という。「父性」は、論理的・客観的な愛であり「義愛」という。幼少期(3才~6才)に「慈愛」が育って「惻隠の心」(困っている人を見て気の毒だと思う心)が生まれ、「義愛」が育って「羞悪の心」(自分の不善を恥じ他人の悪を憎む心)が生まれる。それに、二つの要素が加わる。「辞譲の心」(謙遜して他に譲る心)と「是非の心」(道理に基づき善し悪しを判断する心)である。以上の4つの要素を「四端」、四つの重大な端緒(事のはじまり、いとぐち、手がかり)という。とのことである。

 昭和の時代のパラダイムは、父親は外で働き母親が家を守る、であった。しかし、今は男女平等、男女雇用機会均等法、ワークライフバランス等で父親・母親の役割も変った。「イクメン」と言われる、妻の母親業を支え、ともに子育てに励む父親が増えてきた。それ自体は喜ばしいことであるが、父親が「母性」を施しているのではないだろうか、「父性」が足りない。また、近年中学校の卒業式に立ち会うことが多いが、校長や来賓の祝辞や挨拶には、優しさ、平等、平和、気遣い等の言葉が並び、鍛錬や気概、厳しさ、正しさ等の言葉はあまり聞かない。社会が「母性」化して「父性」が欠如しているのではないだろうか。

 父親が母性化する、社会が母性化するのは何故か。それは、父親自身が自己の鍛錬を怠る、気概がない、善悪を判断する根本を押さえていない、からかも知れない。社会が母性化するのは何故か。民主主義の名のもとに、個人個人が自己の幸せのみを追い求め、国を社会を良くするために“汨羅の淵に波騒ぎ”という屈原の気概がない・・・。

 

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「貞観政要」

2020年7月1日 水曜日

 「貞観政要」(じょうがんせいよう)とは、中国唐代の呉競(ごきょう)が編纂したとされる唐の第二代皇帝、太宗・李世民の言行録である。
太宗と、彼を補佐した重臣たちとの問答を中心に編集されてた全10巻40篇からなる書物である。その後の中国皇帝が帝王学を学ぶために愛読し、日本には平安時代に伝来しており、北条政子や徳川家康、明治天皇も学んだと言われている。1300年前の中国の書物が延々と読み継がれ、現在でも多くの経営者が手許に置いて意思決定の際の参考にするという。
 この中に「三鏡」についての記述がある。「三鏡」とは、銅の鏡・歴史の鏡・人の鏡、である。
 「太宗、嘗て侍臣に謂いて曰く、
夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。
古を以て鏡と為せば、以て興替を知る可し。
人を以て鏡と為せば、以て得失を明らかにす可し。
朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過ちを防ぐ」
・鏡に自分を映し、元気で明るく楽しい顔をしているかチェックする(銅の鏡)
・過去の出来事しか将来を予想する教材がないので、歴史を学ぶ(歴史の鏡)
・部下の厳しい直言や諫言を受け入れる(人の鏡)
 これらの3つの鏡、が君主(リーダー)には不可欠である、と。
 また、この本を座右の書とする出口治明氏(立命館アジア太平洋大学学長)は、組織マネジメント上で5つのヒントがあると述べている。それは、
①  組織はリーダーの器以上のことは何一つできない。
②  リーダーは自分にとって都合の悪いことを言ってくれる部下を傍に置くべきである。
③  臣下(部下)は茶坊主になってはならない。上司におもねってはならない。
④  君は舟なり、人は水なり。水はよく舟を載せ、またよく舟を覆す(「荀子」)。 
舟(君主・リーダー)は水(人民・部下)次第で安定もすれば転覆もする。
⑤  リーダーは常に勉強し続けなければならない。
と。
 この「貞観政要」は、まさに帝王学の要諦である。「時代を越えた普遍のリーダーシップ」が凝縮されている。

 

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「ビルマ戦線と拉孟守備隊」

2020年6月1日 月曜日

 1944年9月7日、中国雲南省の高黎貢山系の南端にある拉孟(らもう)で、約1300名の日本軍第56師団第113連隊主力の拉孟守備隊が全滅した。第56師団は久留米の部隊であり、久留米に入営(龍部隊)した私の叔父高原萬治は、ここ拉孟で戦死した・・・。

 1941年12月のアジア・太平洋戦争開始以降、日本軍は東南アジアや中国大陸に対する南方作戦を開始した。この南方作戦の主な目的は、アジアにおける米英蘭等の南方補給地および軍事的要塞を占領確保し、同時に南方の石油資源等を獲得することにあった。また、日本軍が策定したビルマ進攻作戦には、資源要地の占領確保以外に別の狙いがあった。一つは、ビルマ工作の一環としてビルマ独立運動の志士らを扇動し、英本国の支配から分断すること、もう一つは北ビルマから重慶の蒋介石政権を支援する連合軍の補給路(援蒋ルート)を陸路で遮断することであった。

 ビルマ戦線で、最も大きな作戦は90,000人を越える人数を動員した「インパール作戦(日本軍名ウ号作戦)」で、援蒋ルートの遮断を戦略目標として、イギリス領インド帝国北東部の都市インパール攻撃を目指した作戦である。この作戦は、第15軍司令官の中将牟田口廉也の無謀と無能故に、後方の補給もなく雨期の山岳部での過酷な戦いを強い膨大な数の兵を死なせた。このインパールの大失敗により実に多くの部隊が巻き添えになり、犠牲を続発する。その最たるものが「拉孟の戦い」である。

 「拉孟の戦い」は、日本軍と中国国民党・アメリカ軍(雲南遠征軍)との戦いで、1942年頃には日本軍が優位に立っていたが、アメリカ軍の空輸によって近代的な装備を身に付けた中国軍が1944年6月2日から反撃に転じ、9月7日日本軍の全ての陣地が陥落し、戦闘は終結した。戦闘可能人員は一人もおらず、玉砕である。日本軍守備隊1300名、これに対し中国軍41500名、何と1:32。大砲・銃弾・火器等の武器は少なく、師団からの補給も困難の中、約100日間壮絶な戦いを展開した。

 この拉孟守備隊の壮絶な戦いの中に、我が叔父がいた。戦死した日付は9月7日となっている。

 父も久留米の部隊に入営し下士官として満州から北支に行っている。父は私に、彼の兄がビルマで戦死したことは語ったが、拉孟守備隊の詳しいことは言わなかった。祖母は、戦死した長男のことは一切語らなかった。

 今、こうして叔父のことを、先の戦争のことを調べてみると、「語り継ぐべき戦い」、「語り継ぐべき戦争」があるように思う・・・。

 

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教本「日本の歴史」と教科書「日本史B」

2020年5月1日 金曜日

 5月27日、1905年(明治38年)のこの日、日本の連合艦隊がヨーローッパから回航してきたロシアのバルチック艦隊を全滅させた。“日本海海戦”である。もし、この戦いで日本が負けていれば、この国は滅びこの土地はロシア領となっているであろう。かつてはこの日が“海軍記念日”とされ、日露戦争・日本海海戦の物語は司馬遼太郎「坂の上の雲」に綴られている。海戦が行われた玄界灘を望む高台(福岡県福津市)に司令長官東郷平八郎を祀る神社が建立されており、毎年この日に春季大祭が行われる。

 ブラジルに移住した先輩(徳力啓三氏)から「知っておきたい日本の歴史」という本が送られてきた。ブラジルに住む日本人子弟のために彼が数年をかけて編纂した歴史教本である。彼が考える「知っておきたい日本の歴史」をコンパクトに(全140頁)にまとめた歴史教本である。この中に「国家の命運をかけた日露戦争」として、乃木希典率いる陸軍の旅順要塞戦・奉天会戦と、東郷平八郎司令長官の下でバルチック艦隊を全滅させた日本海海戦が記述されており、その後のポーツマス条約への経緯が記されている。

 さて現在、日本の高校で使われている「日本史B」の教科書(全417頁)には「日露戦争」についてどのように記述されているのであろうか。旅順要塞戦、奉天会戦、日本海海戦が行われたことは記述されている。しかし、乃木希典・東郷平八郎の名前はない。さらにページを捲って「社会運動」の項には、賀川豊彦・吉野作蔵・山川均・平塚らいてう・市川房江等多くの名前が登場する。

 はたして“日本の歴史”のどんなことを我々は知っておくべきことなのか、何が重要なのか・・・。この「日本史B」教科書を読む限り、その判断軸ははなはだ疑問である。戦前教育の反動なのか、軍人は一切掲載されない、国家観を持たないように、英雄や誇りに繋がらないように、という意図か・・・。そうでないと、文部科学省検定にはならないのであろうか。

 ブラジルでは自国の歴史を小学校から学び、自国の理解を深め、自国への誇りを養う。日本では、自国の歴史を学ぶという位置づけではなく、教科(試験科目)としての日本史を憶えるのである。日本人として日本の国を知ることは当然である。特に、日本の歴史を学ぶことは国家観を養う上で必須の要件である。しっかりと学びたい。

 

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「視野を広める」“恵蛄春秋を知らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや”

2020年4月1日 水曜日

 母校の大学で5年前からキャリア教育の一環で全学生を対象に、学生から社会人(ビジネスマン)になるにあたっての講義をしている。「仕事をするということ」の理解や「仕事への心構え」、翻って「学生時代の学び方」を私自身の経験・失敗談を交えて語っている。最後のメッセージは“人は人で磨かれる、人は仕事で磨かれる!”である。

 講義の中で、視野を広めることを強調する。そのために重要な行動は3つ。「経験(トライ)しろ」、「異質と交われ」、「本を読め」である。

 中国南北朝時代の僧曇鸞(どんらん)の言に“恵蛄《けいこ》春秋を知らず、伊虫《いちゅう》あに朱陽《しゅよう》の節を知らんや”というのがある。恵蛄《けいこ》とはセミのことで、セミは夏になって初めて地上に出て来て、秋には死んでしまい、春や秋・冬を知らない。更に言えば、春や秋・冬を知らないセミは夏を本当に夏と知っているとは言えない・・・。今が夏であることを知るためには、夏を越えて秋や冬、春があることを知らなければならない。

 他の人と交わり他の人を知ることで自分がわかる。他の国に行き他の国を知ることで日本がわかる。また、歴史を知ることよって現在を知ることができる。つまりは、「違い」を知ると視野が広がる。

 視野を広めるには、3つの視点があるように思う。第一は「角度」(見える広さ)、第二は「時間度」(見える長さ)、そして第三は「深度」(見える深さ)である。

 若者よ、経験(トライ)しろ! 異質と交われ! 本を読め! そして、視野を広めろ!

 

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「仏教の教えとは・・・」

2020年3月1日 日曜日

 昨年、檀那寺の「仏教壮年会」会長を引き受けることになった。種々の寺の行事をこなすことには問題はないのだが、私の内面で葛藤が始まった。そもそも、仏教の教えとは何かを私は理解していないのである・・・。

 我が家は浄土真宗の門徒で、代々門徒総代をつとめてきた。私も子供のころから祖母や父に連れられてお寺に参っていた。そして、今までに数百回もこの寺の住職の法話や説教を聞いている。

 「仏教の教えって何?」と祖母に訊いても、父に聞いても明確な答えをもらったことがない。「そもそも、仏教の教えとは何ですか?」と僧侶に問うても、長々とした説明はあっても端的で本質的な答えが返ってこない・・・。

 そこで、幾つかの仏教入門書とインド哲学の第一人者の中村元氏の本を読んでの私の結論は、

 仏陀の悟りとは“やすらぎの境地”、心の中の執着と欲望を捨ててやすらぐことが教えである。

 釈迦(仏陀)は、渇愛があるために此岸では人は真の幸せにはなれない、と説いた。

真の幸せになるためには川を渡って「彼岸へ渡れ」と教えた。これが仏教の基本メッセージである。

 そして「彼岸に渡る智慧」を述べたのが「般若波羅蜜多心経」である。

仏教には、多くの重要な言葉がある、例えば「縁起」、「因果応報」、「輪廻転生」、「八正道」、「中道」、「四諦」、「諸行無常」、「諸法無我」、「我他彼此」、「四苦八苦」、「小欲知足」、「涅槃寂静」・・・。一つひとつが奥深く難しい。

 そこで、「そもそも仏教の教えは」となれば、それは穏やかな心を持つこと、そのためには欲を捨てて(小さくして)、足るを知ること。私は、そう解釈する。

 

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「神様の願い、仏様の願い」

2020年2月1日 土曜日

 年が明けると、「初詣で」で神社や寺院に行くのが慣わしである。
そして、無病息災、家内安全、入学試験合格等を祈願する。忘年会と称して酒を飲んで、この1年を忘れ、初詣でで夫々の望みを神様や仏様にお願いする。
それはそれで結構なことである。しかし、その望みは総じて自己の欲望であり所謂我欲が多い。果たして、神様仏様は、その我欲を聞いて叶えてくれるであろうか・・・。

 そもそも「願い」とは、我々人間の神や仏への頼み事ではなく、神や仏の我々人間への「願い」なのである。
 神様、仏様の我々人間への「願い」とは“穏やかで楽しい人生を送ってくれ。そのために健全な社会をつくってくれ”ということらしい・・・。従って、神様・仏様に参るとは、自己の欲望実現のお願いをしに行くのではなく、神の願いに対して感謝しに行くのである。

 東洋思想の第一人者田口佳史氏によれば“儒教・仏教・道教・禅仏教・神道という東洋思想では何を言っているかというと「絶対的存在と対話しろ」というのです。「絶対的存在」とは、その教えによって「天」であったり「仏」であったり「神」であったりします。
その「願い」をしっかりとわきまえて、同行二人で人生を歩んで行け、と”(「現代のリベラルアーツとは何か ー よりよく生きるための知の力 ―」)。その「願い」に沿って生きるには、“智恵”と“慈悲”が必要、“足るを知る”ことが必要・・・。 
 私は、数年前から「初詣で」を止めた。そして、大晦日に、すぐ近くの神社と檀那寺に「お礼詣り」に行くことにした。心も穏やかに、人生も楽しくなってきたように思う。

 

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