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今月の視点 2月 「解決への手がかり」を更新しました。

2016年2月1日 月曜日

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2016年2月 ストレスフリーの仕事術 『GTD® 』を実践する

2016年2月1日 月曜日

 2014年7月に紹介した“ストレスから解放され、高い生産性を維持するための解決策”GTD®(Getting Things Done)ストレスフリーの仕事術に興味をお持ちの方は意外に多い。『GTD JAPAN』(弊社ホームページのGTDバナーにアクセスしてください。)のホームページには、税理士や会計士といった言わば○○士という有資格者からのアクセスが増えている。次から次に発生する複数の仕事を常に同時進行で片付ける仕事に携わる方が、ストレスから解放され、生産性を落とさずに仕事をこなしてく方法を探していることが伝わってくる。

 GTD® セミナ-への関心と参加者が徐々に増えている中、参加者個々の興味と学ぶ姿勢は大変高い。受講後の課題はとにかく実践し、体験し、リラックス状態を実感してみることである。

 GTD®には、2Minutes 2Days 2Years というパラドックスがある。GTD®の説明だけは2分間あればできる。しかし、実践する準備には2日かかる。さらに、習慣化し、自分のものになるためには2年の実践期間が必要である、という意味である。そのくらいとことん実践しなければ現状から脱しきれず、仕事の取り組み方を大きく変えることはできない。

 実践するために、もう一度ワークフローを整理すると、

   ●把握する: 新たに発生する仕事、気になる事をすべて集めて把握する 。

  ●見極める: 行動が必要なものかどうか、どのように行動するかを見極める。

  ●整理する: いつでも行動または処理できるように、整理しておく。

  ●更新する: 定期的に最新の状態に、収集~収納するまでを行う。

  ●選択する: 状況、優先順位に合わせて最適な行動・処理を選択する。

 

 まず「把握する」時に、本来であれば仕事もプライベートもすべて把握する必要があるが、その時間がなく、なかなか一歩が踏み出せない方もいるのではないだろうか。私もそうであるが、まずは“仕事”のみ「把握する」から始めてもよい。あるいは1つの気になっている仕事のみから始めるのもよい。とにかくやってみることを進める。まず気になることをすべて1つの箱“インボックス”を用意してみよう。次に「見極める」作業で混乱するケースもある。“次にとるべき行動”を次の次、さらに次と、行動のステップ全てを書き出してしまい、ゴールまでの全体を把握しようとして見極められなくなるケースである。大切なことは“次にとるべき行動のみ”で構わない。その行動の結果次第で次にとるべき行動が変わる可能性があるからである。但し、同時進行で行動できるもの(マルチステップ)はすべて書き出しておくことは必要である。あとはその行動をどこにおいて(ファイルやパソコン、スマートホンに入れて)「整理する」か、ということである。まずは、ここまでを実践してみる。そして、「更新する」を忘れないことである。

 

 GTD® を実践するメリットは以下のように3つある。

  ①発生ベースの仕事の割合が、事前に明確に(計画)された仕事の割合にシフトできる

  ②「気になること」がすべて見える状態で管理され、ストレスから解放される

  ③何よりも仕事が片付いていくことに喜びを感じることができる

   「ストレスフリーの整理術」も是非、ご一読ください。

 

                                                       (パフォーマンス・コンサルタント 菊池政司)

 

今月の視点 1月 「LEARNING SHOT」を更新しました。

2016年1月4日 月曜日

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2016年1月 『問題解決の落とし穴』

2016年1月4日 月曜日

 先般、南米を訪問した。8回目のブラジル、5回目のアマゾンであるが学び多き旅であった。訪問の主目的は「ブラジル日本語センター設立30周年記念式典・シンポジウム」への参加だったのだが、移住した多くの先輩方を訪ね、大きな刺激を受けた。

 1953年に各大学の移住研究会・中南米研究会が集って「日本学生海外移住連盟(学移連)」という組織をつくり、最盛期には北は北海道大学、南は琉球大学まで56大学が加盟していた。そして1959年から「南米学生実習調査団」(後に海外学生総合実習調査団に拡大)として各大学から選抜して、毎年10人前後の学生を一年間南米に派遣していたのである。この派遣された学生のうち約半分は、卒業後再度南米に渡り移住者として彼の地での生活を開始した。

 私は、1975年第16次南米実習調査団(第6次海外学生総合実習調査団)の一員としてブラジルに派遣され、研鑽を積んだ。だが、残念ながら移住するに至らず、その後40年日本に住んでいる。

 移住した先輩には、サンパウロ州の奥地で牧場を営む者、アマゾン河口の街ベレンでレストランを開いている者、ブラジルの県人会の会長さん、有機栽培のコーヒー販売の後、今は日本会議のブラジル代表者等、多くが異国で試練を重ねて種々の仕事をしている。皆さん一様に元気、流石に体力は年齢相応だが気力はまだまだ若者、凛として生きていらっしゃる。

 移住した先輩方と日本に残った我々の違い、移住し自分の夢を実現しようとした生き方と、移住せずサラリーマンを生きた者の違い、それは「問題を乗り越えて今がある」か、「問題に対処して今まで生きてきた」かである。

 例えば、ブラジルで牧場をしようとすれば、まずはポルトガル語が喋れるようにならなければスタートが切れない。ブラジルの法律やルールを知らなければ土地は買えない、人を使う術(マネジメント)を身に付けなければ牧童や労働者を使えない・・・。すべて乗り越えないと問題が解決しないのである。かたや日本、多くがサラリーマンであるが、問題解決といいながら、表層的な手当で終わり、本質的ことを避けたり、すり抜けたり、先延ばししたり、文字通り対処することで生きてきた。つまり現状での不具合を無くすことが問題解決なのである。

 「問題」とは現状と目標との差である。夢や志(目標)を持たず、日々の生活(現状)の不具合だけをクリアーしていく人生は面白くない。問題解決しているつもりが、人生という大きな問題を避けて通っているのではないだろうか・・・。

                                                            ラーニング・システムズ株式会社

                                                            代表取締役社長 高原 要次

 

今月の視点 12月 「くつろぎの空間」を更新しました。

2015年12月1日 火曜日

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2015年12月 * サ ラ ダ *

2015年12月1日 火曜日

 「食事の時にサラダから先に食べると良い」と、テレビ等でその効果が度々取り上げられ、野菜から先に食べる人が増えてきたような気がします。我が家では、玉ねぎが血液をサラサラにすると言うので、以前は赤と白の玉ねぎのスライスをお皿いっぱいにし、削り節をふりかけ、オリーブオイルと醤油で毎日食べていましたが、数年前からは数種類の野菜を食事の前に食べるようになりました。

 野菜を先に食べる大きな効果は、野菜に含まれる食物繊維が胃の中に入ると水分を吸って体積が大きくなり、満腹感を与えてくれるということ。また食物繊維が便通を整え、余分なコレステロールを吸収して体外に排泄してくれるそうです。もうひとつ、これは我が家が食事前にサラダを多く摂取するようになった大きな理由ですが、野菜の食物繊維が血糖値の濃度を急激に上がるのを抑えてくれるという効果があるからです。そして、余分な脂肪が作られるのを防いでくれるというのです。

 野菜には食べるのに適した季節があります。野菜の栄養はその野菜の旬の季節に食べると、よりいっそう健康に効果があるからですが、もう一つ覚えていると良い情報があります。

 「体を冷やす野菜」と「体を温める野菜」があるということです。

「体を冷やす野菜」は主に夏に収穫する野菜で水分が多いものです。体に熱のこもりやすい季節に食べると、体調を整えるのに役立ちます。レタス・きゆうり・なす・トマト・セロリなどが該当します。また、冷え症のひとが「体を温める野菜」を摂るようにすると、代謝が正常になっていき冷えを改善できるようになるようです。大根・かぶ・ごぼう・白菜等があります。

 そもそも“サラダ”とは、主に野菜などに塩、油、香辛料などの調味料をふりかけるか、野菜以外の材料を和えて盛りつけた料理の総称です。古代ギリシャ、ローマの時代にはすでに生野菜(主にキュウリやカボチャ)を食す習慣があり、語源は調味料の「塩」を意味するラテン語の「サル」(sal)または「塩を加える」を意味する動詞「サラーレ」(salare)にあり、当時のサラダの原形が塩を振りかけて生野菜を食することにあったことをうかがわせます。当時の人々にとって、生野菜は、腸の働きを整える「薬効」をもつ食材と捉えられていたそうです。ローマの初代皇帝アウグストゥスは、病気にかかった際、レタスを食べて一命をとりとめた、という逸話も残されているそうです。

  お蔭さまで、義母から譲りうけた畑が広いため、種々の野菜を栽培する事ができます。今ではサラダに入れる食材が少しずつ増え、野菜以外には発芽黒大豆・海藻類は、季節を問わず食してます。これからも効果的に摂取できるよう、家族に提供していこうと思います。

                                                (原口佳子)

 

今月の視点 11月 「解決への手掛かり」を更新しました。 

2015年11月2日 月曜日

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2015年11月 『練習、練習また練習で思考力と説得力を向上する』

2015年11月2日 月曜日

 2015年度プロ野球、福岡ソフトバンクホークスが他を寄せ付けない圧倒的勝利でシーズンを終了した。地元福岡の球団や福岡出身の選手が活躍することは素直に嬉しいことである。就任1年目の工藤監督は、基本的には「練習はウソをつかない」という考え方だそうだ。「大舞台で緊張しない選手はいない。そこで普段の力が発揮できるかが課題」。その解決策は手を抜かない徹底的な練習、すなわちどういう状況であろうが「完璧な準備をする」ということである。

  ビジネスにおいて完璧な準備をすることはなかなか難しいことである。しかし、ビジネスの中では報告や説明、お客さまへの提案等あらゆる場面において準備が必要なことが当たり前であり、準備次第では大きく成果に影響することになる。そこで“練習=習慣化する”というように考えてみてはどうだろうか。よく仕事ではコミュニケーションという表現を使うが、コミュニケーションの殆どは相手を“説得”するためのものである。説得とは自分の考えが相手に理解されることであり、サービスや提案が受け入れられることになる。あるビジネススキルを使ってとことん練習、つまり習慣化することで、お客様の前でも落ち着いて普段通りの説得(プレゼンテーション)ができるようになれば成果も期待できる。

  その説得力を上げるビジネススキルのポイントは3点で、

    1.明確さ  2.簡潔さ  3.インパクト である。

  まず、1点目の「明確さ」であるが、「何を話すか」を明確に決め、これから話すポイントを予告することである。次に「簡潔さ」、これは話す内容を3点に絞り1つのことをダラダラと話さないようにする。最後に「インパクト」、話の全体像に構造を持たせて、実際に提示することでインパクトのある表現につながる。

特に重要なポイントは3点に絞る点であるが、話し手は思考力のトレーニングにもなる。聴き手にとっては、話の内容にリズム感がでて記憶に留まりやすいし、さらに十分に知らないことを聞く内容で記憶に残る限度は3つとも言われている。

 この3点に絞り込み、話に構造をもたせるための武器として、6つの道具がある。詳しくはビジネススキルプログラム「考えをまとめるスキル・説得するスキル」で紹介している。6つの道具を使って“練習、練習また練習”で思考力、説得力の向上に役立ててみてはいかがでしょうか。

  そういえば先日、長嶋茂雄氏が巨人軍の新監督に期待することは3点・・・。さすがミスターです。

 

                                                        パフォーマンス・コンサルタント 菊池 政司

 

今月の視点 10月 「LEARNING SHOT」を更新しました。

2015年10月1日 木曜日

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2015年10月 『長州ファイブ・薩摩スチューデントと英国人科学者』

2015年10月1日 木曜日

 幕末、鎖国の禁を破り命を賭して英国に密航した日本の若者たちがいる。「長州ファイブ」と言われる井上聞多(馨)、山尾庸三、野村弥吉(井上勝)、伊藤俊輔(博文)、遠藤勤助の長州藩士と、「薩摩スチューデント」と言われる新納久脩、松木弘安(寺島宗則)、五代友厚に率いられた総勢19名の薩摩藩士である。

 1853年の黒船来航以来日本国中に尊皇攘夷の嵐が吹き荒れ、井上聞多も伊藤俊輔も長州版攘夷派の中心メンバーであった。その井上、伊藤たち5人が長州藩そのものの近代化、富国強兵を図るために自分たち自身が“生たる器械”になるべく藩主の命で渡航したのである。彼らが横浜港を出たのは1863年6月27日。驚くべきことにその二日前の6月25日、長州藩は下関海峡を航海中の米国商船を砲撃し、攘夷を実行している。翌1864年8月その英仏米蘭の報復を受け(馬関戦争)を受け、改めて、西欧文明の実際に触れ、攘夷の愚かさを悟らされる。

 薩摩もまた、1862年に生麦で英国人4名を殺傷し、その報復で翌1863年8月15日鹿児島が砲撃を受けた、薩英戦争である。この敗戦を通して西欧文明の威力と攘夷の愚かさを改めて認識し、富国強兵を第一義として開国への道を歩み始めた。そして、和議の場で賠償金の支払いに応じるとともに、留学生受け入れの斡旋を依頼したのである。


 長州ファイブ、薩摩スチューデントを指導し、彼らを目覚めさせ学ばせたのがアレキサンダー・ウイリアム・ウイリアムソンという英国の科学者である。彼は、この日本の若者達に学問を教えたのではない。実践的な科学を学ばせ習得させ、実際の工場や鉄工所・印刷所、造船所や軍港を見せて、祖国の近代化に役立つ考え方と技術を身につけさせた。「異質の調和」を生涯の理念とするウイリアムソンは、夫人のキャサリンとともに彼らをまるで家族のように愛し、世話をし、生活の中から「西欧の神髄」を感じさせ、長州藩士・薩摩藩士を「ニッポン人」に変え、国家意識の中から祖国の近代化のための具体策を思い描かせた。まさに、ウイリアムソンは「日本の恩人」と言えるのではなかろうか。

 薩摩スチューデントの中で最年少は13歳の磯永彦助である。彼は、日本には戻らず、英国から米国に渡りカリフォルニアで葡萄栽培をはじめた。彼こそが、後にカリフォルニアのワイン王(バロンナガサワ)と呼ばれた長沢鼎である。

                                                                ラーニング・システムズ株式会社

                                                                  代表取締役社長 高原 要次