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「人は考えた通りの人間になる」

2025年1月6日 月曜日

   1902年に出版されたジェームズ・アレンの「As a Man Thinketh」は、世界で聖書の次に読まれている書籍だそうだ。本のタイトルは「人は考えたとおりの人間になる」だが、日本語版では「原因と結果の法則」として広まっている。この著書の基本的な仮定は「気高い思いは気高い人を作り、低俗な思いは惨めな人を作る」である。
  アレンは、よきにつけ悪きにつけ心の中の「思い」が原因となり、環境や健康と病気、成功や失敗、富や貧困、喜びや悲しみといった結果をもたらすとしている。また、成功するには、気高い夢を見て目標をもち、単に成功したいと思うだけではなく、欲望を犠牲にし「自分はそれを達成できる」という信念をもって努力をしなければならないとしている。項目ごとに彼が述べている内容を記すと

思いと人格
「私たちの人生は、ある確かな法則にしたがって創られています。私たちがどんな策略をもちいようと、その法則を変えることはできません」 

思いと環境
「自分の心をしっかりと管理し、人格の向上に努めている人たちは、“環境は思いから生まれるものである”ということを熟知しています」

思いと健康
「きれいな思いは、きれいな習慣を創りだします。自分の心を洗わない聖者は、聖者ではありません」 

思いと目標
「人間を目標に向かわせるパワーは、“自分はそれを達成できる”という信念から生まれます。疑いや恐れは、その信念にとって最大の敵です」

思いと成功
「人間は、もし成功をめざすならば、自分の欲望のかなりの部分を犠牲にしなくてはならないのです」

ビジョン
「気高い夢を見ることです。あなたは、あなたが夢見た人間になるでしょう。あなたの理想は、あなたの未来を予言するものにほかなりません」

穏やかな心
「穏やかな心は、真実の海のなか……水面から遠く離れた、いかなる嵐の影響もおよばない永遠の静寂のなか……に住んでいます」

そうです、「人は考えた通りの人間になる」のです。

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高原 要次

 


「性善説と性悪説」

2024年12月1日 日曜日

 現代の日本では、性善説は「人はみな善人である」という楽観主義、性悪説は「人はみな悪人である」という悲観主義、といった意味合いで広く使われる。しかし本来は、楽観主義や悲観主義ではなく、どちらも「教育の重要性」を主張するための説だった。
 孟子が唱えた性善説は、あらゆる人に「善の兆し」が先天的に備わっているとする説である。善の兆しとは、惻隠(憐れみの心)、羞悪(不正を恥じる心)、辞譲(謙譲の心)、是非(善悪を分別する心)であり、これを四端の心という。修練により四端は「仁・義・礼・智」という徳として具現化し、聖人・君子たることができる。それゆえ教育が重要である、という説だった。
 一方荀子が唱えた性悪説は、「性」を欲望を含んだものとして捉え、自然そのままの人の本性は「悪」であるとした。欲望を保有する人間には自己を制御する力は無く、外在する「礼」すなわち学修によって人を矯正・感化する必要があるのだと説いた。それ故に教育が重要である、と。
 さらに、礼ぐらいでは治まらないとしたのが韓非子などで、そこから「法による制御」刑罰主義へと向うのである。
 性善説が正しいのか、性悪説が正しいのか、を問うわけではないが、いずれにしろ教育によって、あるいは修練によってその人格を磨くのは、人としての哲理である。

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「敬天愛人」

2024年11月1日 金曜日

 旧庄内藩の藩主であった酒井忠篤とその家臣たちによって編纂・発行された『西郷南洲翁遺訓』という本がある。なぜ、薩摩から遠く離れた奥羽庄内藩の殿様と家臣が、このような書物を編纂したのであろうか。事の経緯は、以下の通り。
 幕末、徳川幕府から江戸市中見回りの命を受けていた庄内藩は慶応三(1867)年、「テロの巣窟」である薩摩藩邸を焼き討ちにする。この件で薩摩藩では浪士を入れて64名が命を落とした。
 明治元(1868)年、戊辰戦争で幕府方の庄内藩は薩摩藩を中心とした新政府軍を迎え撃ち、善戦の末降伏した。焼き討ちの遺恨により庄内藩主と重臣たちは切腹を覚悟した。しかし、参謀の黒田清隆は庄内藩主に礼儀を尽くし、家臣たちにも寛大な処遇をした。後に、この処遇は西郷隆盛の指示によるものであることが判明した。
 感激した藩主の酒井忠篤は西郷隆盛に親書を送り、明治三(1870)年には藩主以下70数名が鹿児島を訪れた。彼らは西郷から兵学を学び、幾度も西郷と接する機会を持った。そして折に触れ、西郷が語った言葉を帳面に書き写したり覚えたりした。この旧庄内藩士たちによる一連の聞き書きが、『西郷南洲翁遺訓』である。
  この『西郷南洲翁遺訓』は四十一条と追加の二条でできているが、その二十一条に「道は天地自然の道なるゆゑ、講學の道は“敬天愛人”を目的とし、身を修するに克己を持って終始せよ」とある。西郷は、この“敬天愛人”を座右の銘とし、自己修養のための指針として“天を敬い、その哲理に従い、自分を愛すると同様に他人を愛する”ように生きた。
 実業家の稲盛和夫は、「西郷南洲翁遺訓」にはリーダーのあるべき姿が語り尽くされていると語り、自身の人生、経営の指針として同書を紐解いていた。そして、自身が創業した京セラの社是を「敬天愛人」としている。
 「放勲欣明 文思安安」、「敬天愛人」、まさに西郷南洲である。

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「当たるも八卦、当たらぬも八卦」

2024年10月1日 火曜日

 「八卦」とは占いのこと、当っても当らなくても、それが占いというものであり、外れても気にするな、という意味合いで使われる。
 易占いは、世界でもっとも古い占いのひとつで、少なくとも3000年以上前の古代中国で生まれた占いであるが、そもそもは「易経」に由来し、古代中国の伝説上の人物、伏犠(ふくぎ)が編みだし、孔子(こうし)が完成させたといわれている。
 「占い」を、信憑性を遠く離れた予見ではなく、ある意味科学的に行おうとするのが「易占い」であり、この「占い」の知恵を体系化し、宇宙観まで昇華させたのが「易経」である。その根本は太極で「陽」と「陰」であり、その上に八卦(乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤)が展開されていく。
 「易経」は、この八卦と八卦を組み合わせた六十四卦(六十四種類の卦)について、述べられた書物であり、六十四種類の卦は、一つひとつが人生における場面設定のようなものである。六十四の場面ごとに、決まった起承転結の流れがあって、各段階には必ず前兆があり、その前兆を察知できれば、適切に変化へ対応できるということを、たとえ話で表現している。
 「時」は「陰と陽」の働きによって絶えず変化している、というのが『易経』の根本的な考え方で、「易の三義(変異、不易、易簡)」という。「変易」は、変化という意味で、この世のすべての物事、人も物も自然も、一瞬たりとも同じ時はなく、常に変化し続けている、ということ。
 「不易」は、変わらないという意味。すべての物事は変化するが、その変化の仕方には一定の「不変の法則」がある。たとえば、季節は移り変っていくが、冬が過ぎれば必ず春が来る、春が過ぎれば、夏が来て、秋が来て、また冬が来る。この四季の循環は変わらない。
 「易簡」は、やさしくて簡単という意味。「変易」「不易」の法則が理解できれば、何事も簡単にわかるようになり、悩みや問題も解決しやすくなる、ということ表している。
 そもそも社会は「陽」と「陰」でできており、絶対的自然律があり、そのことを理解し、それにそって、変化する状況に対応していけばよい、ということのようである。

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「中村天風」

2024年9月1日 日曜日

 私の私の書棚の一番上の一番右にあるのが「心に成功の炎を」という1万円以上する高価な本である。中村天風述とあり、彼の死から36年後に出版されたものである。中村天風は、思想家で講演家であり、ヨーガ行者であり、実業家でもある。そして、天風会を創始し心身統一法を広めた。中村天風の教えを学んだ人は、原敬、東郷平八郎、北村西望、宇野千代、松下幸之助、稲盛和夫等政界、実業界に多くあり、中村天風に大きな影響を受けた。
 中村天風の名言を、いくつか紹介すると
 ・人生は心一つの置きどころ。人間の心で行う思い方、考え方が人生の一切を良くも悪くもする。
 ・運命には二種類ある。どうにもしようのない運命を天命と言い、人間の力で打ち開くことのできるものを宿命と言う。
 ・二度と生まれることのできない人生の刹那刹那は、自分というものがいつも完全な主人公でなければならない。
 ・簡単に得たものは失い易い。
 ・どこまでもまず人間をつくれ。それから後が経営であり、あるいはまた事業である。
 ・鏡に曇りがあれば、物は完全に映らない。
 ・蒔いたとおり、花が咲く。
 ・暗かったら窓を開けろ。光がさしてくる。
 ・勇気というものは、人生を統一する一切の根本基礎なのだ。
 ・水源のない川はない。
 ・人生とは、自己の命に喜びをできるだけ多く味わわせるようにするところに、本当の生きがいがある。
 ・花の咲いている根元に、このきれいな花を咲かせる養分がある。
 ・今日は一日、怒らず、怖れず、悲しまず。
 ・歓喜の世界に悲哀はなく、感謝の世界に不満はない。

この中村天風の「心に成功の炎を」の本の左隣に、「安岡正篤活学選集」10巻がある。これもまた、私の研鑽のための書である。

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高原 要次

「穀霊、地霊、祖霊」

2024年8月1日 木曜日

  師事している田口佳史氏(東洋思想の大家)の講義で次のような話がありました。
東南アジアの留学生から、“日本の田圃は、どうしてこんなに美しいのですか?私の国でもコメを作っていますが、適当に植えていてもそれなりに収穫できますし、これほど田圃を綺麗にする必要はないのじゃないですか?”と質問を受けたそうです。これに対する田口先生の答えは“古代より日本では、米つくりは神さまと共に行っているのです。従って、田圃には「田の神さま」、社には「お稲荷さま」が祀ってある。神さまは、綺麗な所にしか降りてこないのです。だから、田圃を綺麗にして心を込めて作るのです”、と。
  田口先生からこの話を聞いて以来、私のコメ作りが変わりました。単なる農作業ではなく、神さまとの共作。田圃に神さまに来てもらうために、田の草取りも畔草刈りも頻繁にして、美しいものにしなければなりません。そして、一つひとつ丁寧に心を込めて。
  「田の神さま」は、3つの霊を宿しています。まずは文字通りの「穀霊」、農耕の神さま。次にこの土地に根づいている「地霊」。そして「祖霊」です。「祖霊」は、先祖代々ずっと耕しつづけてくれたからこそ、今の田圃が今の自分たちがあるという、感謝です。
  因みに伊勢神宮の内宮は祖霊の「天照大神」と地霊をお祀りし、外宮は穀霊である「豊受大神」を祀っている。

  我が家の一角に「お稲荷さま」があります。この神さまの語源は「稲成り」、稲が生育することであり、その象徴が狐であるのは、尻尾がたわわに実った稲穂に似てるからだそうです。

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「日本人の礼儀(幕末明治の外国人が見た日本)」

2024年7月1日 月曜日

  2011年3月11日に「東日本大震災」がおきた。地震・津波・原発事故が次々と起こり、未曽有の災害となった。この時、日本人は冷静さを失わず規律ある行動をとった。被災地でおいてさえ、公衆電話やコンビニの前に整然と並んだ。この礼儀正しく秩序ある光景に、世界中が称賛の声を上げた。幕末明治期に日本を訪れた西洋人の多くも、日本人の礼儀正しさに驚嘆した。

「世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で日本人にまさるものはない。身分の低い百姓から最も身分の高い大名に至るまで大へん礼儀正しい。われわれは日本国全体を礼儀作法を教える高等学校と呼んでもいいであろう」(エンゲツト・ケンペル:ドイツ/医師)

「通りがかりに休もうとする外国人は例外なく歓待され”おはよう“という気持ち良い挨拶を受けた。この挨拶は、道で会う人、野良で働く人、あるいは村民から絶えず受けるものだった。」(ジョン・レディ・ブラック:イギリス/ジャーナリスト)

「日本人の挨拶は心底から生じる礼儀であり、日本人の真の親切心に根ざすものである」(バジル・ホール・チェンバレン:イギリス/日本学者)

「日本には、礼節によって生活を楽しいものにするという、普遍的な社会契約が存在する。誰もが多かれ少なかれ育ちがよいし、「やかましい」人、すなわち騒々しく無作法だったり、しきりに何か要求する人は嫌われる」(エドウイーン・アーノルド:イギリス/随筆家)

  幕末明治に来日し滞在した外国人はおしなべて、日本の自然と豊かさ、そして自然が育んだの日本の文化に好感もった。更に、質素で謙虚な日本人、とりわけその礼儀礼節に驚嘆した。

  文明開化という名の西欧化により、豊かな物質文明を指向した日本であるが、江戸期には大変高度な精神文化が存在し、識字率はとびぬけて世界一だった。明治時代に文明が開化したのではなく、すでに江戸期には文化水準の高い文明国であった。

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「美しい」

2024年6月1日 土曜日

 「美」という文字は表意文字である。中国最古の字書「説文解字」によると、「羊」+「大」の二文字で構成される「会意文字」だといわれている。羊は古来より神事の際、献物として供えられていた動物であり、大きな羊は献物としての価値が高く、大きいものは「善」いものとされていた。さらに神に供えられる羊は美しく完全であることを求められたことから、「大」+「羊」=「美」の漢字が生まれ、「美しい」という意味を持つようになったとということである。そして、のちにすべての「美しい」の意味に用いられるようになった。また、華北平原で羊の群れを、リーダーである大きな羊が率いていく様が、とても「美しい」と思われた、という説もある。
 森林山岳島国国家である日本と、荒涼とした華北の中国とでは自然環境が違い、国家の成り立ちや歴史も大きく異なる。そもそも、日本には羊はいなかった。推古天皇の時(599年)に、百済から貢物として献上されたのが最初である。勿論、リーダーに率いられた羊の群れが移動する姿は見られなかった。
 では、日本ではどのような情景や姿が「美しい」と思われたか。弥生時代に、稲作がもたらされコメ作りが広がった。初夏になれば、田圃に水を張り、田植えが行われる。整然と植わった稲田の様子こそ、我々日本人には美しく感じられる。
 実は、コメ作りは神様との共同作業である。田圃の隅には「田の神さま」が祀られ、稲荷神社を設けて豊作を願った。“神さま”は、綺麗な所にしか降りてこない。それ故に、農民は田圃の草を取り、畔草を伐り、いつも田圃を綺麗にする。文字通り「山紫水明」である。
 これは、日本人の精神性にも相通じる。濁りの無い清らかな心を持ち、「清く美しい流れ」、「正心誠意」の生き方である。

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「劣化する日本人」

2024年5月1日 水曜日

 日本のGDPが昨年ドイツに抜かれ、世界第4位になった。急速に進む円安が影響しているとはいえ、経済面での停滞のあらわれである。日本は1968年に西ドイツを抜き、アメリカに次ぐ世界第2位になり、この順位は長く続き経済大国と言われた。そして、2010年に中国に抜けれて第3位に、昨年ドイツに抜けれて第4位、そして来年2025年にはインドにも抜けれ、第5位に沈む・・・。我が国は、このまま「失われた10年」、「失われた20年」、「失われた30年」、・・・と続くのであろうか。
 今国内では、政党派閥の裏金問題が大きな話題であり、政党内での裏金つくりのからくり、そしてそれに関わる政党リーダーの説明能力のなさ、責任感や倫理観の欠如、自己保身のための不誠実な姿勢に、落胆を禁じ得ない。
 この国は課題山積である。①国の周辺には、所謂独裁者といわれるトップが率いる侵略国家が虎視眈々と我が国を狙っている。この国の、国防・安全保障をどうするのか?同盟国という米国にすべてを依存していていいのか?②食料自給率は3割を切っている。コメ以外の殆どを輸入しているのに、テレビでは多くのグルメ番組や料理店の紹介番組が放映され、贅を競っている。③石油・石炭・LNG等のエネルギーや鉱物資源は、その多くを海外に頼っている。戦争や危機が頻発する情勢で、調達ルートや外交はこれでいいのか?         このような問題を、国政レベルで十分な解析、効果的な立案を行い、実践する。それを、リーダーとして行うのが政治家ではないのか。
 翻って、ビジネスの現場で経済活動の実際を行うは一人ひとりの国民であり、政治家を選ぶのも選挙人たる国民一人ひとりである。この一人ひとりの国民のレベルや民度が近年落ちてきているように感じる。
 人としての「ありよう」である「正心誠意・致知格物」、修行としての仕事観、「徳」の概念、を忘れ去り、「得か損か」・「楽か苦か」で判断し、「今だけ・金だけ・自分だけ」という極めて嘆かわしい精神構造になっている。まさに、日本人は劣化している・・・。

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「TO BE GOODを」

2024年4月1日 月曜日

  牛尾治朗氏(ウシオ電機会長)の著書「わが人生に刻む30の言葉」の第1章は「人をつくる」、その第1項は「人間のあり方の基本」、そしてその最初の話が「to do goodを考える前に to be goodを目指しなさい」である。

  この言葉は、牛尾治朗氏が大学4年生で東京銀行に就職する前に、安岡正篤氏を訪ねた時に言われたことだそうです。牛尾さんは、面談の時に、銀行業務を全般的に身につけたい、その後アメリカに留学し国際的な視野を持てるようになりたい等、あれをしたい、これをしたい、こうなりたい、ああなりたい、という話をしたそうです。その時に、安岡正篤氏から「治朗さん、to do goodを考える前に to be goodを目指しなさい」と言われたそうです。

  牛尾さんは、この言葉に衝撃を受けた、そして胸の底に垂直に落ちてきた、と述べています。業務に取り組むにしろ、事業を営むにしろ、国を治めるにしろ、何をやるにしても、その基盤となるのは「自分の人間としてのあり方」なのだ、と。                            

  より良くあろうとする。自分を修める。to be good。そこがしっかりしていなければ何もできないし、何者にもなりえない。そのことが痛いほど身に染みてきた、とのこと・・・。

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